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インタビュー

豊昇龍(後編):格闘技一家に生まれた22歳の若き関取の軌跡「相撲は絶対やらないと決めていた」

2021年8月19日 10:07配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

元横綱・朝青龍である叔父をはじめ、格闘技一家に生まれ育った豊昇龍関。5歳から柔道、11歳からはレスリングでならし、来日するまで相撲経験はなかったという。22歳の若き関取の軌跡をたどる。

(聞き手・文・撮影/飯塚さき)

格闘技一家に生まれ、高校から相撲を始める

――15歳で、モンゴルから柏日体高校に留学に来られた豊昇龍関です。当時は、レスリングの選手として入学されたんですよね。

豊昇龍関(以下、「」のみ)「そうです。いま、まさに東京オリンピックが開催されていますが、レスリングでこの東京オリンピックを目指して日本に来たんですよ。そしたら、なぜか相撲をやっているっていう(笑)」

――いつからレスリングをやっていたんですか。

「11歳からです。その前、5歳からは柔道を習っていました」

――柔道にレスリング、そして最終的には相撲と、格闘技をやろうと思ったきっかけは。

「子どもの頃から、格闘技をやりたいと思っていました。叔父さんが相撲の横綱、もう一人の叔父さんはモンゴル相撲の横綱と、格闘技一家に生まれたにもかかわらず、従兄弟も含めて、子どもたちの代で格闘技をやっているのは自分だけなんです。格闘技の家族を、自分たちの代で終わらせたくなかったので、自分が続けていこうと思いました。柔道を始めたのは、叔父さんも最初柔道をやっていたからで、叔父さんの先生だった人に弟子入りしたんです。11歳のとき、叔父さんがレスリングの会長だった関係でレスリングを始めて、どちらにしてもオリンピックを目指していました。本当のことを言うと、子どもの頃から相撲は絶対やらないって決めていたんです。だって、お相撲さん(朝青龍)を一番近くで小さい頃から見ていて、会うとでかくて怖かったから(笑)。でも、日本で相撲を見たら、やりたいって気持ちが出てきて、心変わりしました。そのときあこがれたのが、日馬富士関です。彼の相撲を見たから、相撲をやりたいと思った。きっかけになった人です」

――実際、強豪である柏日体高校相撲部に入っていかがでしたか。

「怖かったです。高校生でも大きい子はたくさんいるし、その人たちが思い切り当たって相撲を取るところを見て、来るところ間違っちゃったかなって(笑)。でも、やると決めて入ったから、あきらめずに最後まで頑張りたいという気持ちだったし、なんとかして全国大会でメダルを取りたかった。1年生のときは体重が66キロしかなくて、そこから頑張って2年生でインターハイに出られましたが、同級生で一番強いといわれていた子に負けてベスト16で終わり、悔しい思いをしました。その子はベスト8だったけど、その年の国体で優勝したんです。それを見てさらに悔しくて。3年生のインターハイで、また16でその子と当たったんです。去年やられて悔しかったから、思い切りいったら勝っちゃった。それで自信がついて、結果は2位でした。インターハイ後の十和田大会は3位。最後の国体も、またその子に勝って、3位。それで大相撲の世界に入りました。その子とは、いまも友達です」

――いいライバルに恵まれたんですね。角界入りしてからも、ここまで上り調子ですが、どんな要因だと思いますか。

「一番は親方のおかげです。それと、この四股名のおかげ。親方の字(旭豊)をひとつもらった、“豊かな昇り龍”ですからね。自分はそう思っています」

自主性を重んじ 部屋全体を盛り上げる

――豊昇龍関の、日々のルーティンはどんな流れですか。

「やらなければいけないこと以外は、適当です。決まっているのは、稽古と自主トレくらいでしょうか。稽古は7時から10時半までで、昼は自主トレ。実は、7月場所が終わってから、茨城県からこちらの台東区の部屋に引っ越しをしました。前の部屋にはジムがあったんですが、こちらにはありません。とりあえず、前の部屋で使っていたトレーニング器具は全部持ってきたので、これから整理して取り組んでいきたい。ダンベルとか、重り、ケトルベル、ベンチプレスなんかもあります。自主トレは、親方に言われてではなく、自分たちで進んでやっていることなので、下の子もそれを見て自分からやっています。みんなでそうやって立浪部屋を盛り上げていきたいですね」

――立浪部屋には、小結の明生関を筆頭に、天空海闊を含め関取衆が3人います。稽古環境はいかがですか。

「稽古相手もたくさんいるし、いいと思います。自分が入ったときは、明生関1人しかいなかった関取が、いまは3人いるわけですし、そのうちの一人が自分なので、これからもっともっと頑張っていきたいです」

――関取は、ゲン担ぎなんかはされますか。

「はい。勝ったときに使ったものを、洗ってまた次の日使う、負けたら替えるとかはあります。あとはひげですね。負けたら剃っちゃいます」

いまは「叔父さんの名前を下げたくない」

――いまはコロナで不自由もあるかと思いますが、時間があるときは何をして過ごしていますか。

「基本、ゆっくりするのが好きです。家で映画を見たりして、とにかく何も考えないようにする。そうしていると、体も休まるので。友達と出かけたり食事に行ったりと、外に出かけるのも好きですけどね。いまはコロナでそれができなくて、残念です。ただ、コロナはこれからずっとではないと思うので、いつかコロナが収まったら、行きたいなと思います」

――普段の食生活はいかがですか。

「肉ばっかりですよ。嫌いなのはトマト。味も食感も苦手です。ただ、日本に来てからも、食事で困ったことはありません。初めて食べて感動したのは、うなぎ。モンゴルは、あまり魚を食べませんからね」

――入門当初は100キロもなかった体が、ここまで大きくなりました。現在、増量は意識していますか。

「そんなことはないです。昔から、少しずつ大きくはなれているので、この調子でいいと思っています。一気に太ったら体も動かなくなるし、自分がいまできている動きができる範囲内で、体に合わせていきたいです」

――精神面では、どんな心持ちで相撲を取っていますか。

「自分が頑張らなければ、元横綱の叔父さんの名前が下がるので、頑張って持ち上げていきたい。やっぱり、入門してからずっと、自分の名前の前に叔父さんの名前がありますから。もし、自分が横綱・大関になったらそれも変わるかもしれないけれど、いまはとにかく自分の前に叔父さんの名前がついているので、それを下げたくない。そういう思いでやっています」

――ここまで、いろいろなお話をありがとうございました。では、最後に9月場所への目標をお聞かせください。

「15日間、ケガをせずに自分の相撲を取り切って、力を全部出し切る。そして、勝ち越しを目指して頑張ります。強い人と当たるのは楽しみです」

【プロフィール】

豊昇龍智勝(ほうしょうりゅう・ともかつ)

1999年5月22日生まれ。モンゴル・ウランバートル市出身。叔父は元横綱の朝青龍明徳。5歳から柔道を、11歳からレスリングを習い、レスリングで東京オリンピックを目指すために、高校1年生で日本に留学。そのとき、生で見た大相撲に影響を受け、レスリングを辞めて相撲部に入部。柏日体高校3年次に、インターハイ2位、十和田大会3位。高校卒業とともに立浪部屋に入門し、2018年1月場所で初土俵を踏む。同年5月場所では序二段優勝。その後も順調に番付を上げ、19年11月場所で新十両、20年9月場所で新入幕。先の21年7月場所は、前頭5枚目で10勝を挙げ、自身初となる技能賞を受賞した。身長186cm、体重131kg。得意は右四つ・寄り・投げ。

【著者プロフィール】

いいづか・さき

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! ニュースなどで執筆中。

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