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【大相撲 forスゴ得】相撲記者長山の「大相撲の巡業(1)」

2017年12月6日 12:00配信

公益財団法人である相撲協会は、相撲の普及と発展に努めなければならない。各地を巡る巡業は、本場所に並ぶ二本柱と位置づけされているほど重要なものだ。

現在は春場所後の春巡業、名古屋場所後の夏巡業、秋場所後の秋巡業、九州場所後の冬巡業と年4回行われる。春巡業は関東・東海・近畿、夏巡業は東北・北海道・信越、秋巡業は東海・北陸・関西・中国・四国、冬巡業は九州・沖縄と、回るコースもほぼ決まっている。

タイムスケジュールは、午前8時から公開稽古、その後序二段から幕内までの取組が行われ、午後3時打ち出しとなっている。関取の稽古は9時頃に始まり、11時前には終了する。

巡業には、十両や幕内の取組前に、本場所では見られない余興も用意されている。

相撲の禁じ手などをコミカルに解説する「初切(しょっきり)」、床山が関取特有の大銀杏を土俵上で結い上げる「髪結い実演」、独特の節回しで相撲情緒をかもし出す「相撲甚句」、付け人たちが横綱の腰に綱を締め上げる「綱締め実演」、地元の相撲クラブや小中学校の少年たちが人気力士に挑む「子供たちとの稽古」、土俵上の作法、股割りなどの実演、弓取式や土俵入りの意味などをわかりやすく説明する「相撲講座」などだ。

地方巡業の歴史は、それほど明白ではない。江戸勧進相撲の組織、制度が整う以前は、現在のように本場所と巡業の区別が判然としてないからだ。

したがって巡業は、大相撲が職業として認められた江戸時代の初期から、300年前後の歴史があるといっても過言ではない。

遠い昔はともかく、昭和32年までは、一門別の巡業が主流だった。出羽一門、二所一門、高砂一門など、5つや6つの一門ごとに分かれて全国各地を回っていた。ところが昭和33年の年6場所制発足を機に、巡業のほとんどが大合併で行われるようになった。

巡業は長い間、地元企業や有力者などの勧進元が、相撲協会から一定のギャランティーで興行権を一括して買い取る「売り興行」だった。

特に巡業の価値が高まったのが、平成3年ごろから貴乃花を中心とした「平成の相撲ブーム」の時だ。

当時はどこの巡業地も超満員のお客であふれ、館内はものすごい熱気に包まれていた。勧進元にはたとえ1日興行でも、多額の利益が見込まれたため、巡業開催を申し込んでも、2、3年待ちが当たり前の状態が続いた。

これに目をつけた協会は、平成7年に長い間の慣例を破って巡業の大改革を断行。「みんなの待遇をよくするため」と当時の出羽海親方が明言したとおり、利益のほとんどを協会が独占する協会の「自主興行」に変更された。

基本的には5千人収容規模の体育館のみの興行となったため、露天興行や、小さな町や村を回ることはなくなった。また、ちゃんこの廃止などで、地元の人との交流や接触も激減した。

地元で、草の根的に相撲界を支えていた関係者をややおろそかにしたことが、その後の人材発掘に支障をきたした面は否定できない。

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