コラム

相撲記者長山の「春場所あ・ら・かると」(1)大阪場所の歩み

2018年2月7日 11:05配信

3月に大阪で開催される春場所は、浪速に春を告げる興行としてすっかり定着している。

大阪は元々相撲の盛んな土地だった。江戸勧進相撲は、京都、大阪、江戸の三都を始め、全国各地で行われていたが、当初は京都、大阪が中心だった。特に大阪相撲は元禄末期から正徳・享保年間に全盛期を迎えていた。

しかし次第に将軍のお膝元である江戸に勢力が移行していき、全国的な相撲組織を確立した天明の頃から、江戸(東京)が勧進相撲のメインとなる。

関西拠点のプロ相撲集団も何とか興行は続けたものの、京都相撲は明治末期に消滅し、大阪相撲も大正時代に入ると危機的状況にあった。

大正14年4月に摂政宮殿下(昭和天皇)は、東京相撲を招いて台覧され、金一封を下賜された。東京相撲協会はその拝領金で優勝杯を作成、賜杯拝戴を独占するのは恐れ多いという名目のもと、昭和2年1月に大阪相撲を吸収合併した。

日本のプロ相撲の集団が一つに統一されたことにより、財団法人の資格を得ることに成功。大日本相撲協会が設立された。

その際、それまでの1月春場所、5月夏場所の国技館開催の年2場所から、3月と10月の関西本場所を新しく設け、年4場所制となった。

関西本場所は大阪のほかに京都、名古屋、広島、九州などで行われていた。ところが昭和7年に角界改革を訴えた春秋園事件が勃発。多くの力士が相撲協会を脱退したため、昭和8年から東京開催の1月、5月の年2場所制に戻してしまった。

昭和10年代は、双葉山の活躍で空前の人気を博した大相撲だが、敗戦を迎えると、国技館を進駐軍に接収されるなど、苦難の道を歩む。

相撲人気は低迷を極め、打開策の一環として昭和23年には、従来の1月春場所、5月夏場所に加え、10月秋場所を相撲にゆかりのある大阪で決行することになった。戦後初の地方場所が成功裏に終わったことから、24年、25年(この年から秋場所は9月開催)、26年と引き続き大阪で秋場所が行われた。

昭和28年完成予定の大阪府立体育館の着工が始まると、この常設館で大阪場所を開催することが決定し、昭和27年は1月、5月、9月の場所をすべて東京の蔵前仮設国技館での開催。大阪府立体育会館のこけら落としとして、28年3月に本場所が行われた。

当初、この3月場所を何と呼ぶかが、関係者の間で問題となった。論議の末、「春場所」ということで落ち着き、それまで春場所として国技館で行われていた1月場所を、「初場所」と改称したのである。

大相撲はこうして年4場所制となり、のちの6場所制に踏み切る大きな布石となった。

(続く)

「作品紹介」

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著者/長山聡

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