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コラム

元・東桜山のみんなの大相撲「東桜山のお話(1)」

2019年4月10日 11:00配信

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私が引退したのは今から10年前のことです。幕下止まりで大した成績も上げてないのでほとんどの方が「ん?こんな力士いたか?」と思っていることかと思いますので、たまには私自身の話を書いてみようかと思います。

私の四股名は東桜山(とうおうやま)。入門してからしばらくは本名の田代(たしろ)で相撲をとっていました。平成11年初場所で初土俵を踏み、同期生には後の横綱・朝青龍関や現・清見潟(きよみがた)親方の元・武州山関などがおりました。

私は、小学2年生から相撲をはじめ小学5年・6年生時には全国制覇をしてわんぱく横綱に。中学校から相撲の名門・明大中野に進学し中学高校と相撲漬けの生活を過ごしました。同級生には現・玉ノ井親方(元大関・栃東関)がいて、彼は高校卒業とともに入門、私は明治大学に進学しその後、大学卒業後彼と同じ玉ノ井部屋に入門をしました。

入門した時点で、栃東関は関脇、私はタイトルを取っての入門では無かったので前相撲からのスタートでした。まさに雲泥の差。本来なら口も聞けない番付の差です。

ただその時に鮮明に覚えていることは、雲の上の存在ではあるのですが何故か身近に感じられたことです。数年前まで一緒に汗を流していた友がその番付まで駆け上がっている姿はとても心強いものでもありました。

力士は入門すると、必ず3か月間相撲教習所というところに通います。教習所と聞くと自動車の教習所を想像してしまうかと思いますが、相撲教習所は相撲の基本動作や基礎体力向上、さらには座学で相撲の歴史や習字、保健科学などの勉強をするところです。

私の教習所生時代は、同期に後の朝青龍関なども居ましたので稽古相手に不足はありませんでした。いまでも思い出しますが、土俵際の最後の瞬間まで逆転技をしかけようとする朝青龍関との稽古は一歩間違えば大けがをするかも知れないとても激しい稽古でした。

相撲教習所には3つの土俵があり、相撲の強さごとで稽古する土俵を変えられます。A土俵が強い力士たちの稽古土俵、Bは中堅どころ、Cは完全初心者の稽古土俵でした。

私が稽古していたA土俵には、朝青龍・春日王・千代白鵬・若荒雄などがいて、さらに幕下付け出しですが高見盛や武州山も時々稽古に参加をしていました。とてもキツイ稽古なのですが、みんな目をキラキラと輝かせながら稽古した日を思い出します。

<次号につづく>

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