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私の取材したちょっといい話 貴ノ浪2

2020年5月16日 11:00配信

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曙や武蔵丸などハワイ勢の威力ある突っ張りにはやや苦戦を強いられたが、相手十分の体勢でも抱え込んで逆転できる足腰の良さと懐の深さは天下一品。本人もスケールの大きい相撲には誇りがあったようだ。

「まあ、オレの強さは分かる人に分かればいいんです。マニア受けなんですよ(笑)」

「(小城錦のもろ差しの猛攻をしのいで勝ち)僕としては面白い相撲を取っているんですけど、誰も評価してくれませんね(笑)。これが本当のサーカス相撲。でも、こんなデカイ、ピエロはいないか(笑)」

「(琴錦に右差し左ハズの絶好の体勢になられるも左小手投げで下し)オレってすごいと自分でも思いますね(笑)。まあ、1人ぐらい変わった相撲を取るやヤツがいてもいいでしょう」

「(魁皇を寄り切り)左が入ったので、向こうが力を出す前に速く攻めた。オレは頭脳派なんですよ。一見、そうは見えないけど」

しかし時には口が滑りすぎる時もあり、平成11年夏場所2日目に土佐ノ海を引き落とし、対戦成績を16勝4敗とした時には「ここ数場所、いつも相手が出てきくる勢いを利用して引き落としとか、肩透かしで勝っている。この際、バレるまでやってやりますよ(笑)。でも、(土佐ノ海も)いい加減分かれよ、という感じもありますけどね(笑)」と一刀両断。

これにはさすがの土佐ノ海も奮起したようで、翌名古屋場所初日には一気に貴ノ浪を押し出して「このところはたかれて負けているので、今日は体を密着させていきました」と学習効果を強調。負けた貴ノ浪は「今日はNHK(相撲中継)の解説が北の富士さんだったでしょう。オレ、北の富士さんの時はめちゃくちゃ勝率が悪いんですよ(笑)」と、なぜか北の富士さんのせいにしていた。

また、審判の判定とかにも納得がいかなければ、堂々と自分の主張を展開していた。平成12年秋場所5日目には、雅山の押しに土俵に詰まったものの、左から突き落として決まったかに見えたが、物言いがつかなかった。

「向こう(雅山)の手がつくのが、ちょっと早いかなという感じだった。何で物言いがつかないんですかねえ。ただ座っているだけなら審判なんていらないですよ。(二子山部屋のある)中野区在住のTで、相撲協会に電話しようかな(笑)」

取り口や言動から豪快な人柄に見える貴ノ浪だが、平成9年九州場所で2度目の優勝を果たした時に、本人を直撃したら、そうした人物像を否定した。

「いや、結構ナイーブなんですよ(笑)。『気にしない、気にしない』なんて強調すること自体、めちゃくちゃ気にしている証拠ですからね(笑)。だからゲンとかもよく担ぐタイプです。土俵入りが終わって支度部屋に入るまで化粧まわしを外しちゃダメとか、支度部屋を出るのは左足からとか、体は大きいですけど、細かい、細かい(笑)。九州場所もパンツは3枚しか替えてない(笑)。勝っていてゲンがよかったので、3枚のローテーションでしたよ(笑)」

その上、毎年花粉症にも悩まされ「目薬、うがいなどの薬代が大変。NASAの宇宙服で場所入りできないかなあ(笑)」などとも話していた。

貴ノ浪は、日本人としては破格のスケールを誇ったが、やや受ける相撲だったため、足首の負傷に悩まされた。平成11年九州場所で大関から陥落。関脇となった翌12年初場所で10勝を挙げ、大関に返り咲いたが、春場所、夏場所と連続で負け越し再び大関陥落。以後2度と復帰することはなかった。

それでも明るさは失わず、小結だった平成12年秋場所千秋楽に敗れ9勝止まりに終わると「勝てば2桁勝ちだった? いいじゃん。来場所から60連勝すれば横綱になれるんだから」と、あくまでも前向きだった。

同場所の12日目にはこの場所優勝したライバルの武蔵丸と対戦したが、その前日には「勝てば殊勲賞もありますよね(笑)。そうしたら涙を流して『涙の殊勲賞』という映画を作ろうかなあ」とややマニアックな発言。

様々な病気やけがで大関から陥落した名寄岩が、満身創痍の状態ながら昭和27年秋場所に敢闘賞を受賞。その後31年に、日活から「涙の敢闘賞」として映画化された。貴ノ浪は過去の相撲の歴史にも精通しているところを見せつけた。

平成6年初場所後に武蔵丸と貴ノ浪が大関に同時昇進。その後、横綱・大関の上位陣は貴乃花、曙、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪の5人体制が何と5年間も続いた。

三役には5人の先輩の琴錦、安芸乃島、貴闘力や、同世代の魁皇、武双山など、現在ならいずれも一気に大関に昇進しそうな逸材がそろっていたが、なかなか厚い壁をぶち破ることはできなかった。

相撲では破格のスケールを誇った貴ノ浪

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