コラム
相撲記者長山の「歴代横綱~6代目阿武松緑之助」
2018年6月8日 11:05配信
歴代横綱物語
(6)6代目阿武松緑之助
谷風、小野川の後、史上最強とまで言われる雷電や、玉垣(額)、柏戸(利)など、強豪力士にも横綱の沙汰はなかった。実に39年ぶりとなる横綱免許を受けたのが阿武松である。
阿武松は能登国鳳至郡(石川県鳳至郡)出身で、本名・佐々木長吉。
江戸へ出てコンニャク屋の下男をしているうちに力士を志し、武隈の門に入り、文化12年に前相撲から取った。
入門当初は小車、錣山部屋に移籍して小緑、そして小柳と名乗っていたが、文政9年、大関に進んで長州藩の抱え力士となったことで阿武松と改名した。
改名効果か、文政11年に吉田司家から横綱免許を受けた。奉公人から角界入りして、横綱にまで上り詰めたため、江戸市民からは「今太閤」ともてはやされた。
173センチ、135キロ。色白の肥満型で、力がこもると満身に朱をそそぎ、腕力だけではなく技量に秀でていたという。ただし取り口は慎重をきわめ、立ち合いに「待った」が多かった。
文政13年の上覧相撲でも、ライバルの稲妻に勝ったものの、「待った」をした上での勝利だったため評判を落とした。
その後将棋などで「待ってくれ」というと「阿武松じゃあるまいし」という言葉がはやったという。
もちろん当時は仕切り制限時間がなかったので、「待った」は違反行為ではなかった。
天保6年10月場所を最後に、45歳で引退。力士名のまま年寄を務め、嘉永4年12月に61歳で死去した。
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