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インタビュー

碧山(後編):12年目の力士として日本とブルガリア、二つの土地でのルーツに迫る

2021年4月30日 11:51配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

ブルガリア出身の碧山関のインタビュー後編。今回はそのルーツに迫る。あこがれの元大関・琴欧州(現・鳴戸親方)との思い出や、来日してからの苦労、さらに趣味だという釣りについても話を伺った。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

元大関・琴欧州にスカウトされて入門

――力士になって12年。いままでで心に残る思い出を教えてください。

碧山関(以下、「」のみ)「私を日本に連れてきてくれたのは、ブルガリア出身の先輩である琴欧州関です。彼が優勝したときは、ブルガリアでもものすごいニュースになりました。すごい人だなあとあこがれていたその人に、日本に来てお相撲さんになってくれないかと言われたときから、琴欧州関と相撲を取ることが夢だったので、それがかなったときですね。ものすごくうれしかったです。最初の対戦は、2012年の名古屋場所。感動より、緊張が半端なかった。全部で4回やって、4回とも負けです。最後、2014年3月場所で大関が引退する前に、2月の大相撲トーナメントの決勝で私が勝った、それもいい思い出。親方になったいまもカッコいいし、自分の大好きな先輩です」

――碧山関は、相撲を始める前はレスリングをやっていたそうですね。

「はい、11歳から日本に来るまでの22歳までやっていました。私は昔からエネルギーがあり余っている子どもで、おじいちゃんが『そんなに元気があるからスポーツでもやったら』ということで、歩いて行けるクラブに通い始めたんです。1年くらい地元でやってから、首都ソフィアの大きいクラブに移って5~6年。その後は大学でもレスリングをやりました」

――昔から体が大きかったんですか。

「いえ、小さい頃は普通の体格だったけど、高校卒業前にいきなり体が大きくなりました。レスリングは体重制限があるから、コーチに『相撲にしたらどうか』と言われたのが、相撲を始めたきっかけです。その後、アマチュア相撲を1年くらいやって、2007年に琴欧州関が国に帰ってきたところに顔を合わせて、お相撲さんになりたくないかとスカウトされました」

――当時、琴欧州関にお会いしていかがでしたか。

「そのときは、こんなに大きい人がいるのかとめっちゃびっくりしました。ブルガリアにも大きい人はいるけど、そのレベルじゃなかった。厳しい稽古をしているから、半端じゃないくらい強そうだったんです。あこがれたけど、私が行っても大丈夫なんだろうかと少し怖かった。それと、私はそのとき、レスリングや相撲を掛け持ちしていたこともあって、100キロくらいまで痩せていました。そしたら大関に『もっと大きいと聞いて来たのに、なんでこんな痩せているの』と言われて『太るのは全然大丈夫です!』と言ったんです(笑)。それから2年後に入門することになりました。入門できるギリギリの年齢、23歳になる直前のことでした」

異国の地・日本で驚いた文化の違い

――まったく知らない国に来て、はじめは苦労されたのでは。

「日本の文化も、言葉も一つもしゃべれなかったから、最初は大変でしたね。日本語は、みんなと少しずつ話しながら覚えました。入門したとき琴欧州関に『テレビをよく見て、言葉を耳で聞いて覚えなさい』と言われました。子どもと一緒ですね。ちょっとずつ話せるようになるから、知らない言葉は全部「それは何?」と聞いて、ノートをつけて覚えていく。読み書きはひとりで勉強しました。琴欧州関から、できればひらがなカタカナは覚えたほうがいいと言われて、時間があるときに練習したんです。“あいうえお”と書いた下にローマ字で読みを書いて、少しずつ覚えました。いま振り返ったら、やっておいてよかったです」

――ものすごい努力ですね。日本に来て、驚いたのはどんなことですか。

「夏でも冬でも、みんなスーツを着ているのにびっくりしました。みんな社長に見えるじゃないですか(笑)。仕事に行くときは、日本人はみんなそうなんですね。あと、私はもともと魚が好きじゃなくて、生魚を出されたときは驚きました。焼き魚すら好きじゃなかったんですけど、日本で魚を食べるようになって大好きになりました。いまは普通に寿司も刺身も好きです。本当においしいし、チャレンジしてよかった」

――食べ物は比較的受け入れられたんですか。

「最初は苦労したんですよ。魚もだけど、納豆も全然食べられなかった。最初はにおいがダメで、怖くて食べられなかったけど、チャレンジしようと思って食べてみたら、においと味が全然違うから、おいしくて食べられるようになりました。野菜はもともと全部大好きで、ちゃんこは最初からおいしく食べていました。お肉も、日本のものはすごくおいしい。ヨーロッパでは、牛肉はゴボウみたいに固いんです。日本で初めて親方が焼肉に連れて行ってくれたとき、もう本当にびっくりしました。牛肉ってこんなに柔らかくてこんなにおいしいの!?って。初めてそんな風に思いました」

――面白いですね。逆に、ブルガリアではどんな食事が主流なんですか。

「パンが主食で、豚肉・鶏肉がメインです。魚は、黒海まで行かないと出てこない。ヨーロッパの食文化がいろいろ混ざっているから、パスタやピッツァ、ロシア料理やトルコ料理、ギリシャの料理も混ざっている。一回食べたら忘れられないくらいおいしいところはたくさんあります。旅行で行ったらすごく楽しいと思いますよ」

――ブルガリアといえばヨーグルトのイメージです。

「ヨーグルトは毎日食べますよ。日本でも、明治さんからブルガリアヨーグルトを送っていただいて、いつもお世話になっています。最初、食べてびっくりしました。向こうのと何が違うかわからないくらい、むしろこっちのほうがおいしいかもしれない(笑)。ちなみに向こうでは、ヨーグルトはそのままでも食べるけど、料理に使うことのほうが多いです。煮込み料理や肉に漬けるとき、スープ、デザート、いろいろな使い方があります」

釣りが趣味 夢はマグロ漁に行くこと!

――休日は何をして過ごしていますか。

「本当の趣味は釣りなんですけど、お相撲さんはなかなか行けません。コロナのいまは特に全然だめです。ただ、日本でも2~3回、沖縄や宮古島で行ったことがあります」

――昔から好きなんですか。

「そう、ブルガリアにいたころから。生まれ育ったところは、海は100km離れているけど、川が近かったから川釣りをしていました。釣るのは好きだけど食べるのが嫌いだった。面白いでしょ(笑)。家に持って帰っても、私は食べないで人にあげていました。釣りに行くこと自体が楽しいんですね。いつか、日本でマグロ釣りに行きたい。テレビでマグロ漁の番組をやっていると見ています。日本はどこに行っても海だから、それを楽しみにしています」

――山より海派なんですか。

「いえ、山も大好きです。スキーもやっていたし、山に行って友達とごはん作って楽しく食べて話をするのも好き。山は空気がきれいですしね。人がいっぱいいるところは落ち着かないから、自然に囲まれているほうがいいです」

――ここまでたくさんお話いただきありがとうございました。最後に、今後の目標をお聞かせください。

「だいぶベテランになってきたので、どこまでいけるかわからないけど、ケガだけないように、もう一回上のほうを目指したいなという気持ちがあります。来場所は上位に戻ると思いますので、気持ちと気合だけ負けないように頑張ります」

【プロフィール】

碧山亘右(あおいやま・こうすけ)

1986年6月19日生まれ。ブルガリア・ヤンボル出身。11歳から地元でレスリングを始め、高校卒業後にはアマチュア相撲を1年ほど経験。2007年、同じくブルガリア出身の琴欧州(現・鳴戸親方)にスカウトされたことをきっかけに、2009年7月場所で初土俵を踏む。2011年7月場所で新十両。十両をわずか2場所で通過し、新入幕となった同年11月場所で敢闘賞を受賞。先の3月場所では、最後まで優勝争いに加わり、敢闘賞を受賞。これまで三賞は敢闘賞4回、技能賞1回。身長191cm、体重185kg。得意は右四つ・寄り。

【著者プロフィール】

飯塚 さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! ニュースなどで執筆中。

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