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インタビュー

妙義龍(後編):これまでの土俵人生を振り返って、印象的な取組とは

2021年10月26日 11:00配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

相撲の名門・埼玉栄高校、日本体育大学を経て角界入りした妙義龍関。その相撲人生を振り返る。併せて、普段の明るい関取の姿も紹介しよう。

(聞き手・文・撮影/飯塚さき)

数々の競技に親しんで選んだ相撲への道

――関取は、何歳くらいから相撲を始めたんですか。

妙義龍関(以下、「」のみ)「小学2年生のとき、神社でやっている俵もない相撲大会に出たのがきっかけです。そこに相撲道場の先生が見に来ていて、『道場に遊びにおいで』と誘ってもらいました。相撲のほかに、水泳と体操もやっていて、柔道もちょこっとやって、中学では陸上部で砲丸投げと円盤投げをやっていました。自分に合う競技を探していたわけではないけれど、いろんなことに興味があったんですね。中学3年生になって、進路の話になったときに、一番長く続けていたのが相撲だったので、親から『ちょっと本気で相撲やってみたら』と。それで火が付いたのか、全国大会に2回出られたんです。でも、都道府県大会では1回戦負け、全中は予選落ち。でも、出たことが自分の人生の転機でした。そこで、埼玉栄の山田先生が声をかけてくれたから。当時は、うれしいというより、わけわからんかったです。兵庫出身なので、『埼玉ってどこ?』みたいな(笑)。何百人と出ている中学生のなかで、なぜ日本一の高校の監督が自分に声をかけてくれたのか。5年前くらいに聞いたんです。そしたら『足首が柔らかかったから。あと、顔がいい』って。それだけで誘われたんです。すごくないですか?」

――山田先生の目は本当にすごいですね。でも、高校1年生で親元を離れることは寂しくありませんでしたか。

「遊びたい時期やし、親より友達と別れるのが寂しかったです。ただ、そのときの心境としては、前しか見ていなかった。栄に入ってみたら、3年間はきつかったけど、そこで基礎ができたと思います。3年間で、団体戦の試合に出たのはたったの2試合。強豪ぞろいで、レギュラーメンバーになんか入れないし、たまたま5人制のときに2回出ただけなんです。ただひたすらにやっていましたね。3年生の進路のときに、大学へ行こうと決めました。角界を目指したのは、大学で付け出しの資格を取ったときです」

歳を重ねて培ったのは「経験」

――幼少期から、あこがれていた力士はいますか。

「小学生のときに若貴ブームだったので、お二人と曙関は知っていましたが、実はあまり大相撲を見ていなかったんですよね。やるのと見るのとは全然違いました。いまの山響親方(元幕内・巌雄)が道場の先輩で、胸を出しに来てくれたときの様子が新聞に載って、その写真を額に入れて飾っています。立川親方(元関脇・土佐ノ海)にも、巡業のちびっこ相撲で向かっていったのは覚えています」

――ご自身の土俵人生を振り返って、印象的な取組はありますか。

「どれも印象に残っていて、いっぱいあります。あえて言うなら、初めて白鵬関に勝ったとき。金星6個あるんですけど、白鵬関に勝ったときの初金星は最高の相撲でした」

――現在、歳を重ねて、昔と違うことはなんですか。

「経験ですかね。若い頃は勢いで勝っている部分もあったし、勝ったときの余韻が長かったけど、いまは勝っても、支度部屋でもう『よし明日』っていう気持ちになっています。ケアに関しては、ずっと最善を尽くしていますね。痛いから治療するっていうレベルの低いものではなく、常にコンディション整えるようにしています」

――食べ物やサプリメントにも気を使っていますか。

「サプリメントは補助としてとっているだけなので、結局は食事です。基本的に好きなものを食べていますが、肉ばっかりとか、偏りすぎないようにしています。どちらかというと魚が好きですね。嫌いなものは特にないけど、揚げ物は全然食べないので、あんまり好きやないんかも。とんかつとか食べると、勢いつけすぎて衣で上顎を傷つけちゃうから(笑)。食べなさすぎて、食べ方がわからんくなってるんですよ(笑)。天ぷらとかもあんま食わんかな」

映画にも出演 家では2児の父

――昨年公開されたドキュメンタリー映画『相撲道』では、境川部屋がフィーチャーされ、妙義龍関も中心的に出演されました。いかがでしたか。

「自分たちのところ(前半)しか見ていませんが、境川部屋のいい緊張感と雰囲気が表れていて、カッコいいなと思いました」

――劇中ではトレーニング風景も写されていて、関取の太ももが80cm以上あることに驚きました。

「重いものを何十キロ持てるといっても、普通の人はピンと来ないけど、体のどこが何センチとかなら、自分も測って比べられるでしょ。それで、“自分これしかないのに、お相撲さんはもっとこんなに太いんだ!”ってわかる。だからいいんですよ」

――普段からトレーニングを含めストイックな関取ですが、息抜きでは何をしていますか。

「釣りが好きなんです。コロナで外出できなかったときは行けなかったけど、最近ようやく行けるようになりました」

――コロナ禍は家で何をしていましたか。

「子どもと遊んでいました。巡業もなく、ずっと東京だったので、子どもの成長が見られてよかったです。その反動で、今年の名古屋場所は寂しかったです。上の子が4歳で、下の子がもうすぐ2歳になるので、子どもたちの成長を見るのがいまは楽しみですね」

――ありがとうございます。では最後に、来場所の目標を教えてください。

「九州場所は、また上位に当たる位置まで行くので、新横綱との対戦を楽しみに、気合い入れて行きます。これまで、対戦した横綱全員から金星を取っていて、あとは新横綱だけなので、しっかり調整して、今年最後の場所を無事に終えることが目標です」

【プロフィール】

妙義龍泰成(みょうぎりゅう・やすなり)

1986年10月22日生まれ。兵庫県高砂市出身。本名は宮本泰成。幼い頃から、水泳や体操、柔道などさまざまな競技に親しんでおり、小学2年生から姫路市の広畑少年相撲教室で相撲を始める。中学では陸上部に所属する傍ら相撲を続け、3年次で都道府県大会と全中に出場。強豪校である埼玉栄高校に入学する。日本体育大学に進学後、4年次の大分国体成年個人の部で優勝し、幕下15枚目格付出の資格を獲得。卒業後に境川部屋に入門し、2009年5月場所で初土俵を踏む。勝ち越しを重ね、翌10年1月場所で新十両昇進、2場所連続の十両優勝を果たし、11月場所で新入幕を果たした。スピード感あふれる立ち合いで相手を圧倒する相撲が魅力で、先の9月場所では、新横綱の照ノ富士と共に優勝争いまで残り、6回目となる技能賞を獲得した。最高位は関脇。身長186cm、体重155kg。得意は押し・右四つ・寄り。

【著者プロフィール】

いいづか・さき

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! ニュースなどで執筆中。

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