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コラム

相撲記者長山の「歴代横綱~8代目不知火諾右衛門」

2018年6月19日 11:05配信

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歴代横綱物語

(8)8代目不知火諾右衛門

数奇な運命の持ち主である。享和元年に肥後国宇土郡(熊本県宇土市)出身。本名・近久信次。もともと力士になる気など全くなく、農業兼郡役人をしていた父の跡を継ぎ、結婚して二児をもうけた。平穏な人生を歩んでいたが、文政6年、23歳の時に義憤のために殺人事件を起こしてしまった。やむを得ず妻子を残して故郷を離れ、大坂相撲の湊部屋に入り、黒雲竜五郎の名で大関まで昇進した。

文政13年江戸へ出て浦風部屋に入門し、雲州松江藩抱えとなって、天保8年正月場所、入幕を機に濃錦里と改めた。番付運がよく、天保9年10月場所の前頭筆頭から、翌10年3月場所は一躍大関に昇進。熊本細川家に抱え替えとなったものの関脇に降格し、再大関の時に不知火と改名した。11年11月には吉田司家から横綱を許されたが、休場が続き、13年2月場所には関脇に落とされた。称号時代とはいえ、史上唯一番付が降格した横綱という、不名誉な記録の持ち主である。

176センチ、135キロ。容姿端麗で人気もあり、それなりの強豪力士ではあったが、横綱免許を受けたのはまさにラッキー以外の何物でもない。吉田司家が、細川侯の家臣であったことが、少なからず影響していると見られている。

また現在の「不知火」型の土俵入りを初めて行ったという説もあるが、そうしたことを証明できる文献や資料は全く存在しない。

引退後は大坂に戻り、師匠湊を次いで頭取となる。嘉永7年7月、54歳で死去した。

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