コラム
相撲記者長山の「歴代横綱~9代目秀ノ山雷五郎」
2018年6月27日 18:20配信
歴代横綱物語
(9)9代目秀ノ山雷五郎
身長わずかに164センチ(体重は最盛期135キロ)。いくら現代人より小柄だった江戸時代とはいえ、大力士に成長するような体格ではない。もちろん歴代横綱中最短身だ。
秀ノ山は文化5年、陸前国本吉郡(宮城県気仙沼市)に生まれた。本名・菊田辰五郎。
少年時代から力士を志し、17歳で江戸に出て手当たり次第相撲部屋を訪ねるが、どこも門前払い。何とか力士になりたいと千葉の成田山に37日こもり、その根性を先代の秀ノ山伝治郎(小結)に評価され、入門を許された。
北山のしこ名で文政11年3月場所に前相撲から取り、三段目の時、雲州藩のお抱えになって天津風と改名。怪力だが、横にもろい体型を稽古で補い、天保8年正月場所に入幕すると快進撃が続いた。盛岡南部侯の抱えに転じて立神と改め、12年正月場所、大関昇進を飾る。1度関脇に下がり、岩見潟と改名。大関に返り咲いた15年から秀ノ山を襲名した。
豆タンクのような体ながら堅実な取り口は風格を備え、相手方の大関剣山とともに天保から嘉永までの土俵を盛り上げた。
弘化4年9月に横綱免許を受けたが、その後はふるわず、嘉永3年3月場所限りで引退、年寄専務となった。しかし激しい気性が災いし、「嘉永事件」と呼ばれる秀ノ山に反発する大紛擾が起こった。これを反省した秀ノ山は、多くの弟子を育て上げ、なかでも第12代横綱陣幕久五郎はその出世頭。文久2年5月、55歳で死去した。
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