コラム

相撲記者長山の「歴代横綱~12代目陣幕久五郎」

2018年8月9日 18:55配信

歴代横綱物語

12代目陣幕久五郎

強豪力士として一世を風靡しただけではなく、横綱の代数を独自に確立し、地位化への礎を築いた。

文政12年、出雲国意宇郡(島根県八束郡)出身で、本名・石倉慎太郎。少年時代から体力に恵まれ、18歳の時に巡業に来た大坂相撲に飛び入りして自信を深め、力士を志す。当初は広島県尾道の草相撲で腕を磨いたが、当時の相撲界は、各地にセミプロ集団が存在し、現在の野球やサッカーのように底辺が広かった。

その後、嘉永元年に大坂の朝日山部屋で修行したのち、江戸相撲に加入し秀ノ山門下となる。安政3年幕下に進んで阿波藩の抱えとなり、黒縅から陣幕に改名し、5年正月場所に入幕を果たす。

文久3年7月場所、出雲藩にお抱え替えとなり、史上初の張り出し関脇に昇進した。元治元年10月場所に今度は薩摩藩のお抱えに転じ、慶応2年11月場所に大関昇進、翌3年正月に京都の五条家、同年11月には吉田司家から横綱免許を受けた。39歳だった。

174センチ、138キロのがっしりした体型。守りに強い堅実型で、土俵に足がかかるとテコでも動かなかったと言われている。入幕から引退までに喫した黒星はわずか5個。現在のモノサシでは測れないとはいえ、9割4分6厘と谷風以来となる高い幕内勝率を誇り、「負けず屋」の異名を取った。

陣幕は横綱免許後、2場所土つかずのまま、慶応3年の40歳の時に突如引退。幕末の動乱期だけに、勤皇思想に心酔し、江戸に見切りをつけて上方に去った。大坂相撲の復興に尽力し、頭取総長に押された。

明治11年再度上京し、相撲関係の建碑事業に没頭、「建碑狂」と言われた。中でも有名なのが、明治33年に東京深川八幡境内に立てた「歴代横綱之碑」である。吉田司家や相撲協会とも無縁で独自に建てたものだが、その後相撲協会公認となり、現在に至る。

明治36年10月に75歳で死去した。

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