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コラム

相撲記者長山の「歴代横綱~17代目小錦八十吉」

2018年10月15日 17:55配信

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歴代横綱

17代目小錦八十吉

小錦は慶応2年10月15日、千葉県山武郡横芝町(現横芝光町)で生まれ、本名・岩井八十吉。父は津軽出身で、土地相撲の大関だった。当然大の相撲好きで、八十吉に力士の夢を託し、14歳の時に高砂部屋に弟子入りさせた。

しかし八十吉は修行の辛さに2、3度実家に逃げ戻り、16歳再入門。小錦のしこ名で前相撲から取り、体力不足を猛稽古で補い三段目頃から頭角を表わす。

明治21年1月新十両、同年5月には21歳で新入幕を果たす。江戸から明治中期までには考えられほどの異例のスピード出世だった。快進撃は続き、23年5月には小結からいきなり大関に大ジャンプ。新入幕から24年1月までは、引き分けや預かりはあったものの負け知らずの39連勝を記録した。168センチ、124キロの短軀肥満型で、「荒れ狂う白像の如し」と形容された出足は素晴らしく、行司が「ハッケ」と軍配を引き、「ヨーイ」と言わないうちに勝負が決したとまで言われている。

相撲界初のヤングスター、しかも色白で美形だったため、小錦の人気はすさまじく、東京では小錦織と名づけられた織物がベストセラーになったほどだ。

明治29年3月には、当時としては最年少となる29歳4か月で横綱免許を受けたが、上昇時のはつらつとした相撲とは一転し、不振の土俵が続いた。精神的な弱さも指摘され、初日に黒星を喫することが多かった。西方力士は初日に小錦と対戦することを願っていたという。

明治34年1月限りで引退、年寄二十山を襲名。弟子育成や協会運営に尽力。誠実な人柄で、45年春には取締にも就任した。大正3年10月22日に48歳で亡くなった。

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