コラム

相撲記者長山の「歴代横綱~21代目若島権四郎」

2018年12月26日 15:15配信

歴代横綱

21代目若島権四郎

大阪相撲の力士としては、初めて吉田司家から横綱免許を許された。

若島は明治9年1月19日、千葉県市川市原木生まれで、本名・高橋権四郎。5歳の時に東京の青果店の養子に行き、体が大きかったため、7歳で大関若島(のち楯山)の預かり弟子となった。

松若のしこ名で明治23年1月に初土俵。24年10月に美濃大垣を巡業中に大地震に遭い、若島は兄弟子楯甲の機転で助かったが、楯甲は家が倒れて圧死してしまった。その恩を忘れぬため、29年1月に入幕した時に楯甲と改める。

美談の持ち主でイケメン力士、その上取り口も激しかったため、大変な人気者になった。しかし人気におぼれて身を持ち崩し、成績は振るわなかった。明治30年5月、師匠若島のしこ名を継ぎ、心機一転を図ったが天然痘にかかり全休。出鼻をくじかれたこともあって、関西へ脱走する。

まず京都の草風部屋を経て、大阪の中村部屋に入門。東京での実績を買われ幕内付け出しでデビュー。大阪相撲では無敵を誇り、32年5月から36年1月まで35連勝を記録する。33年6月小結、34年5月に大関と番付を上げ、36年1月に五条家から横綱を許される。これが五条家免許の最後となった。そして38年4月には東京協会加判のもと、吉田司家からも横綱免許を受けた。

178cm、109kg。筋肉質の体で足腰も強靭だった。組んでも離れてもよく、突っ張り、出し投げ、蹴手繰りと派手な動きで土俵を沸かせた。若島の人気で凋落気味だった大阪相撲は急速に回復、それまでの年1場所が、明治30年から年2場所制となった。

東京との合併相撲でも、さすがに常陸山には分が悪かったが、大砲や梅ヶ谷とは五分の成績を残している。大阪相撲最強の力士と言っていいだろう。

しかし明治38年11月、当時はやり始めていた自転車を運転中に転倒、どぶに落ちて頭を強打した。その後遺症で四股も満足に踏めなくなり、40年1月、31歳の若さで引退を余儀なくされた。

年寄・若島として勝負検査役に就任したがすぐに廃業。興行師のかたわら社会事業にも貢献し、鳥取県米子町(現米子市)の町会議員にも選ばれて活躍した。

昭和18年10月23日に69歳で死去した。

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