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コラム

元・東桜山のみんなの大相撲「東桜山のお話(2)~朝青龍関との思い出」

2019年4月17日 19:00配信

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角界に入門すると本場所の無い偶数の月3か月間、国技館の裏にある相撲教習所に通います。前回はそこでの稽古の様子をお話いたしました。前回の話の続きをしたいと思います。

後の横綱・朝青龍が同期生にいたので、教習所での稽古はとても激しく刺激のある稽古でした。朝青龍は、ぶつかり稽古になると普通は1日1回しかしないぶつかり稽古をA土俵B土俵C土俵と渡り歩き、1日3回も行っていました。相撲経験者ならわかるかと思いますがぶつかり稽古というのはとても厳しい稽古で1回の稽古でも身体に相当な負荷がかかります。それを楽しそうに3回もやっていて、それが終わると兄弟子に言われる前に黙々と四股を踏んでいました。四股を踏むのも黙々と踏むのですがとても気持ち良さそうに踏んでいたのを思い出します。

同期生は入門が一緒ですので、同じタイミングで出世していきます。当然本場所でも同じくらいの番付にいるので戦います。私は、前相撲の2番目で朝青龍と戦いました。向こうは高卒、こちらは大卒。細身で筋肉質の身体で私は彼の相撲スタイルを全然知らなかったので動き回られないように四つに組み止めて寄切ろうと考えました。

立ち合い当たって四つになると、しばらくして綺麗に投げ飛ばされました。本当に一瞬のことで何が起きたのかわからないくらいでした。それが朝青龍との最初の一番でした。初場所の入門なので新弟子数11名。全員が一番出世で出世披露を行いました。

次に対戦したのは翌3月の春場所でした。お互いに序の口として初めて番付に載って、2番目の相撲。次は、私の得意な突き押しで勝負をしました。立ち合いから突いて突いて相手を懐に入れず、そのまま突き出しました。

取組後、支度部屋で帰る準備をしていると朝青龍がやってきて「今日は風邪気味で具合が悪い。次は絶対に負けない」とわざわざ言いに来たのでした。今思うとそういう悔しさを表に出して、そしてその悔しさを自分の糧にしている姿が、後の大横綱を作り上げたんだろうなと思います。

その場所、私が序の口優勝。翌5月場所では彼が序二段優勝。そして7月の名古屋で再び彼と対戦をすることになりました。当然、私は突き押し相撲で一気に突き出そうと狙い突き押しで攻めました。すると四つ相撲だった彼は突き押しで応戦してきました。土俵中央でお互いに突き押し合い、タイミングを外された私が土俵に突き落とされました。彼は得意の四つ相撲を封印し、突き押し相撲に変えて、その後も突き押し相撲に変更し、そのまま横綱まで駆け上がるのでした。彼が十両や幕内に上がって支度部屋で会うたびに「おう!同期!早く上がって来いよ!またやろうよ(対戦)」と声をかけてくれたものでした。

<次号につづく>

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