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コラム

相撲記者長山の歴史コラム 美男力士列伝 幕末〜昭和戦前②

2020年8月25日 18:25配信

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古今美男力士列伝  いくら強くても、顔が鬼瓦みたいな力士ばかりでは相撲興行は盛り上がらない。最近の相撲人気も、遠藤や炎鵬のようなイケメン力士の存在が大きいのは間違いない。  江戸の頃より顔立ちのいい力士は存在しただろうが、錦絵でははっきりと判明できない。写真技術が長足の進歩をみせた幕末以降の美男力士を、個人の独断で列挙してみた。ただしお相撲さんの場合は強さが伴ってこそ、その美貌がより映えるのは間違いなく、三役以上の力士に限定した。

★綾瀬川山左衛門(大関)

 〽相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほどのよいのが朝日嶽

「明治の初め頃に俗謡にまで唄われ、きりっとした風貌で人気があったのが綾瀬川だ。当時は、仕切り直しの度に水をつける力士がほとんどだったが、「力水は末期の水に等し」と1度しか水をつけなかったという。後年の双葉山もこの態度にならったと言われている。

 綾瀬川は天保6年(1835)10月生まれ。始めは大阪相撲に参加したが、文久元年に江戸に出て10月場所で幕下二段目に付け出される。明治元年(1868)11月場所に新入幕を果たし、明治4年の2場所は小結で土つかずの成績を挙げ、5年4月場所に大関に昇進する。

 綾瀬川は、明治6年に腐敗した相撲界を改革しようとした高砂の情熱に打たれ、行動を共にすることを誓ったが、相撲会所(後の相撲協会)に寝返った。のちに相撲界の実力者になる高砂の激憤を買ってしまうこともあった。

173cm、109kg。体格には恵まれなかったが、気迫十分で土俵態度は堂々としており、上手投げが得意だったという。風流のたしなみもあり文筆にも優れていた。次男の栗島狭衣は、文士で相撲評論家としても高名であった。したがって映画草創期の女優・栗島すみ子は、孫にあたる。

男じゃ綾瀬、と唄われた美男の綾瀬川

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