コラム
どす恋花子の両国パトロール 元横綱朝潮と元大関朝潮
2020年12月16日 16:50配信
この12月、元大関朝潮の七代目高砂親方が停年退職。
高砂部屋は元関脇朝赤龍に譲り、朝赤龍が八代目高砂親方となりました。
七代目高砂親方は、今後は錦島親方の名前で、参与として協会に残るのだそうです。
思えば、元大関朝潮の師匠は、関係者のあいだで「五代目」と呼ばれる元横綱の朝潮でした。
鹿児島県の離島・徳之島出身で46代横綱になった島の英雄で、故郷徳之島の高台には、こんな銅像が建っているのです。
昭和34年5月に横綱に昇進し、当時の人気は絶大で少年向け漫画雑誌の表紙を飾ったこともあるほどです。
名門高砂部屋が出来てから、くしくも今年が150年目にあたり、五代目が亡くなってから、ちょうど33回忌となるのだそうです。
近畿大学卒業後”大ちゃん”の愛称で、鳴り物入りで角界に入り、五代目高砂親方の元で育った現錦島親方が、当時の想い出を語ってくれました。
「『五代目』は、稽古場では厳しいけれど、そのほかはおおらかな人でうるさいことを言わない。(笑)。私が東京の東も西もわからない当時、料亭などの花柳界に連れて行ってくれてね。『おばさんでも、女性はすべておねえさんと呼ばなきゃダメだそ』『ハイヤーの運転手には必ずチップを渡すようにな』などと細かいことを教えてくれたものです」。
1988年に58歳で急逝すると、巡業先から愛弟子の小錦や水戸泉も駆け付け、泣きながら飲み明かしたそうです。
未亡人の啓子夫人が、当時のことをこう語っていたことがあります。
「お相撲さんたちは巡業中で帰って来られないはずだったんだけど、いつもうちに出稽古に来ていた他の部屋の関取衆が、『後のことは俺たちに任せて、親方の顔だけでも見て来い』と言ってくれたそうです。出棺に間に合って、その日はみんなでウイスキーをガンガン飲みながら、泣いて泣いてすごかったの。特に小錦は、『みんなは俺のことをガイジン、ガイジンって言ったけど、親方は言わなかった。俺も体を切ったら赤い血が出る、お前も赤い血が出る。おんなじだよって言ってくれた』と泣くの。それを見て、みんなもらい泣きしていたくらいでした」。
今年12月、故郷徳之島で「朝潮記念館」が建てられ、落成式が開催される予定でしたが、このコロナ禍で残念ながら式典は延期に……。
コロナ問題が収束したら、花子も徳之島まで脚を運び、往年を偲びたいと思っています。
名門高砂部屋の歴史は、脈々と受け継がれてゆくのですね。
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