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インタビュー

照ノ富士(前編):感動の復活優勝の裏側

2020年8月31日 12:12配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

通常名古屋で行われる7月場所は、新型コロナウイルスの影響により、東京・両国国技館で開催された。賜杯を抱いたのは、両膝のケガと糖尿病などの内臓疾患により、一時は序二段まで陥落するという大きな困難を乗り越えた、元大関・照ノ富士関。感動の復活優勝に世間が沸いた。一躍時の人となった照ノ富士関に、現在の心境を伺った。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

ケガと病気を乗り越え成し遂げた復活優勝

――まずは何より、優勝おめでとうございます。今回はどのような心境で臨まれたのですか。

照ノ富士関(以下、「」のみ)「ありがとうございます。最後まで自分のできることをするだけだと思っていました。それだけです」

――日を重ねるにつれ、優勝の二文字が現実味を帯びてきたと思います。何日目くらいから意識してきましたか。

「いや、意識はなかったです。とにかく一日一番だと思って、毎日しっかりやるだけでした」

――場所中のゲン担ぎやルーティンなんかはあったのでしょうか。

「何もありません。常に同じことをするしかありませんからね」

――千秋楽、御嶽海関を見事な相撲で下し、優勝決定戦を行うことなく、文句なしの優勝を手にしました。実際に優勝したとき、どんなお気持ちでしたか。

「それはもう、こういう状況でうれしくない人はいないと思いますよ」

――師匠をはじめ、部屋の皆さんからの祝福の言葉は?

「はい、普通に、おめでとうと言ってもらいました」

――以前のように、力と勢いで豪快に取る相撲というよりも、とても冷静で落ち着いて取っているように見えました。何か取り方に変化や工夫があったのでしょうか。

「特に自分では変わったことはないです。本当に、無理せずできることをやるだけでした」

――ケガや病気、大変なことを乗り越えてきた照ノ富士関です。ここ数年で、力士としてだけでなく、人間的にも大きく成長されたのではないでしょうか。

「昔はそんなに悪い人間でしたか?」

――いえ! そういう意味ではなくて…!

「(笑)。まあでも、人間は死ぬまで成長すると思いますから。まだまだ学ばなくてはいけないことはいっぱいあると思うので、特にいま成長したなと感じることはないですね」

――力が強く、当たってまわしを取っていくスタイルの照ノ富士関。ご自身の取り口を磨くために、日々どういった工夫をしていますか。

「常に親方の言うとおりに、前に出ることと立ち合いからしっかりと当たること。それを意識して稽古していて、特別に何か技を磨いているということはないです」

――13日目の朝乃山関戦では、立ち合いから互いに得意の右四つになりましたが、上手を深く取りすぎなかったことで、力が出たのでしょうか。

「流れ的にそうなりましたね。でも、だからといって、こうしてああしてと考えてそうなったわけではないんです。自分の場合は、右四つをしっかり磨いていくことを考えているわけですから、どんな相手でもやることは一緒。朝乃山関に対してだからこうしようということはありません。自分のやってきたことを信じてやるだけでした」

――これまでご自身が積み重ねてきた努力を、信じ切れたということですね。

「自分を信じられなかったら、土俵に上がる意味がありませんから」

一日一番毎回全力を尽くす

――コロナ禍において、力士の皆さん大変な思いをしていらっしゃると思います。現在の生活はいかがですか。

「朝稽古してちゃんこ食べて筋トレして寝て、起きたら夜ご飯食べてお風呂入って寝る。それくらいしかないですね」

――趣味はありますか?それともリラックスした時間はテレビなど見て過ごしているのでしょうか。

「趣味は特になくて、基本的にテレビは見ません。だからといってコロナなので、外出とか変わったこともできない時期ですからね」

――そうですね。母国のご家族やご友人もご無事ですか。

「はい、いつも応援してくれていますし、みんな元気ですよ」

――外出もできない日々ですので、一人の時間に映像を見て相撲の研究をすることもあるのでしょうか。

「はい、自分のも他の力士のも、暇があれば見ています。できるだけの時間を相撲に費やしたいと考えているので」

――これまでで、何か印象に残っている取組や場所はありますか。

「特にこれっていうのはないですね。というのも、一日一番、本当に毎回全力を尽くしていますから」

ケガは付き合っていくものトレーニングとリハビリも欠かさない

――照ノ富士関が所属する伊勢ヶ浜部屋には、地下にトレーニングルームがあります。稽古以外に、ウェイト・トレーニングもしていらっしゃいますか。

「はい。でも、特に変わったことはしていません。誰でもやっているようなことをしています」

――以前、伊勢ヶ浜部屋の稽古見学に行かせていただいた際、皆さん土俵周りでもダンベルを持った補強や、患部のリハビリをしていました。照ノ富士関も、同じように稽古に加えてリハビリや補強運動を取り入れているのでしょうか。

「はい。リハビリは常にしています。もう痛みはとれるわけではないので、付き合っていくしかありません。どうしたらもっと動けるようになるかを考えて、場所中は痛み止めを飲みながら臨んでいます。稽古もトレーニングもリハビリも、人と違うことや変わったことをしたのではなく、何事も人より少し多めにやってきたことが、今につながっているのかなと思っています」

【プロフィール】

照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)

1991年11月29日生まれ。モンゴル・ウランバートル市出身。17歳から1年間、柔道に取り組み、18歳になる2009年に日本での相撲留学を決意。鳥取城北高校に編入し、高校3年次の全国高等学校総合体育大会相撲競技で、団体メンバーの一人として優勝に貢献した。10年に間垣部屋に入門、初土俵は翌5月の技量審査場所となった。13年3月場所限りで間垣部屋が閉鎖されると、伊勢ヶ濱部屋に移籍。その2場所後には新十両に昇進が決定。その後も順調に番付を上げ、15年5月場所で初優勝を果たし、大関に昇進した。しかし、膝のケガと複数の内臓疾患に見舞われ、18年7月幕下に陥落。その後序二段まで番付を下げる。19年3月から土俵に復帰。2年半ぶりの再入幕となった先の7月場所では、見事2度目の優勝を手にした。身長192cm、体重178kg。得意は右四つ、寄り。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! Japanなどで執筆中。

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