インタビュー
阿炎(前編):幕内28年ぶりの巴戦 念願の初優勝を振り返る
2022年12月20日 11:16配信
日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。
今回ご登場いただくのは、九州場所で大関・貴景勝関、髙安関を巴戦で撃破し、見事初優勝を果たした阿炎関。本連載2度目の登場は、今回の阿炎関が初めて。自身にとっても特別となった九州場所を振り返っていただいた。
聞き手・文・撮影/飯塚さき
念願の初優勝を振り返る
――千秋楽で単独トップだった髙安関を本割で撃破し、星の並んだ貴景勝関、髙安関と28年ぶりとなる巴戦に臨んだ阿炎関。髙安関を立ち合いで仕留め、続く貴景勝関にも前に出るいい相撲で勝ちました。あらためて初優勝おめでとうございます!
阿炎関(以下、「」のみ)「ありがとうございます!」
――今場所は特にいい相撲が多かったと思いますが、場所全体を振り返っていかがですか。
「これまでも、一日一番をモットーにやってきましたが、今場所はそれがちゃんとできていたと思います。それができていたから調子がよかったのかなと。集中している分、体も動いていました。年齢に関係なく場所が進むにつれて疲労は溜まっていきますが、対戦相手に失礼のないようにしっかり準備して土俵に上がっていたので、そこがよかったのかな。眠れなくても10時には消灯して目をつぶっておくなど、疲労を溜めないように意識していました」
――土俵外でもいろいろと意識して過ごしていたんですね。実際、体もよく動いていました。
「そうですね。しっかり思い描いたように体が動きましたし、集中力もあったので、相撲内容的にはよかったと思います」
――特に印象的な一番はありますか。
「やっぱり千秋楽の高安関との相撲はよかったと思う。見ている人も燃えるような戦いができたんじゃないかなと思います。髙安関はかちあげで当たってくるけど、僕はもろ手なので、かちあげがクリーンヒットすることはないから怖がらずに行けました」
――優勝の意識はどのあたりからでしたか。
「本当に、千秋楽の高安関戦が終わってからです。そこまでは、毎日その相撲に全部出し切るって決めて臨んでいたので、本当に一日一番でやっていました。緊張もしなかったですし、集中できていたなと思います」
――本割で髙安関に勝った瞬間の心境は。
「取り終わったときは何も思っていないです。支度部屋に戻ってから、正直全力を出し切っちゃっていましたが、気持ちを整えなきゃと思って。(優勝を)考えすぎないようにはしていたけど、そこまでいくとどうしても考えちゃう。でも、そこでちゃんと冷静に取組を2番で終わるように考えていました」
幕内28年ぶりの巴戦 勝因を分析
――本割で当たった相手ともう一度当たるのは難しいことでしたか。
「いや、とにかく全力を出せればいいと思っていたので、難しいとは考えていないです」
――あらためて決定戦の2番を振り返って、勝因はどこにあったと思いますか。
「髙安関戦は、変化しようと思っていたわけではなくて、当たって左に動こうと考えていした。でも、実際は体が硬くなってしまって、立ち合いで跳んだような動きになっちゃったんだと思います。貴景勝関戦で勝てたのは、2番目だったから、自分がもうすでに1番取った後だったからじゃないですかね。貴景勝関は引いてきたので、相手に引かせられたっていう意味では、そこが勝因だったと思います。1日に3番取って、スタミナ的にはやばかったけど、しっかり切り替えできたのがよかったんじゃないですかね」
――プレッシャーのかかるなか、よく落ち着いていました。
「ずっと挑戦者であり続けたいと思っているので、そんなに気負わずしっかりと力を出すことを意識していました」
――負けてもともと、くらいの気概で臨んだのでしょうか。
「負けると思っていってはいないけど、そのくらいの気持ちはありましたね」
優勝の実感沸くも すでに次を見据える
――いまあらためて、一番覚えているのはどのシーンですか。
「やっぱり最後に賜杯を受け取ったときの風景はまだ頭に残っていますね。優勝を決めた瞬間より、実感が沸いてきたときでした」
――師匠の錣山親方(元関脇・寺尾)は、体調不良で場所は休場されていましたが、その後退院されてどんな言葉を交わしましたか。
「おめでとうって言ってくれました。東京に帰ってきてからは、来場所は気負いすぎずに頑張れよとも言ってもらいました」
――九州から東京に帰ってきて、周囲の反響はいかがですか。
「あまり外出していないし、もう稽古が始まっているのでわからないですけど、家族にはおめでとうと言ってもらいました。ただ、もう来場所に向けて気持ち作りをするからと伝えてあります。家族に宣言した通り、自分はもう次の場所に向かっています」
――越谷観光宣伝大使に任命されている阿炎関。地元・越谷レイクタウンで優勝パレードと報告会も行いました。
「地元の皆さんが応援してくれるだけで本当にありがたいです。喜んでもらえているって感じられたので、それだけでやってきてよかったなと思います」
(第46回・後編へ続く)
【プロフィール】
阿炎政虎(あび・まさとら)
1994年5月4日、埼玉県生まれ。本名・堀切洸助。錣山部屋所属。小学3年生のときに、草加相撲練修会に入会して相撲を始めた。第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞。千葉県立流山南高校時代は、第61回選抜高校相撲十和田大会において個人戦で3位、高校総体でベスト16。卒業後、錣山部屋に入門し、2013年5月場所に初土俵。15年3月場所で新十両、18年1月場所に新入幕、19年7月場所で新三役昇進を果たした。2020年夏、新型コロナウイルスガイドライン違反で3場所出場停止となり、2021年3月場所に土俵復帰。西前頭9枚目で迎えた先の11月場所で、貴景勝・高安との優勝決定戦巴戦を制し、見事初優勝を果たした。身長187cm、体重151kg。得意技は、突き・押し。
【著者プロフィール】
いいづか・さき
1989年12月3日生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Yahoo!ニュースなどで執筆中。
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