コラム

相撲記者長山の「歴代横綱~13代目鬼面山谷五郎」

2018年8月10日 18:05配信

歴代横綱物語

13代目鬼面山谷五郎

明治最初の横綱である。文政9年、岐阜県養老郡養老町生まれ。本名・田中新一。

少年時代から筋骨たくましく、その体を生かすために京都相撲で浜碇の弟子となって修行をしていた。しかし何らかの事情で郷里に帰って石屋に奉公していたところを、巡業に来た武隈に見出され、嘉永5年に再入門。2月場所に浜碇と名乗って幕下二段目付け出しで初土俵を踏んだ。6年2月場所には姫路藩のお抱えとなり弥高山と改名。安政3年阿波藩にお抱え変えとなり鬼面山と改めて4年正月場所に入幕した。

186センチ、140キロ、仁王のような体格にも関わらず、酒や色事におぼれることもなく、性格はいたって温厚だったという。陣幕とともに幕末期の大相撲を支えたが、“負けず屋”と言われた陣幕とは対照的な取り口だった。無類の怪力を生かし、攻撃的でやや大まかな相撲だったため、取りこぼすこともあった。実力は陣幕級だったが、成績ではやや劣る。

その陣幕とはともに阿波藩の抱えで同じ東方のため対戦はなかった。ところが陣幕が薩摩藩に鞍替えし、西に回ったため、互いの感情が激突する中、慶応3年3月場所7日目に1度だけ対戦が組まれた。

江戸中の人気を呼び早朝から札止めの大盛況。東だまりに阿波、西だまりに薩摩の武士が詰めかけ、緊張感あふれる中、立ち上がり左四つ、寄り合い合いの大死闘のすえ2度の水入りで引き分けた。

両力士のみならず、行司式守伊之助まで顔面蒼白になったという、相撲史上最も殺気だった1番として知られる。

慶応元年11月場所に大関昇進。陣幕との確執からしばらく土俵を退いたが、4年6月場所に大関に復帰。明治2年2月に、44歳で横綱免許を受けた。現在でも最年長横綱の記録ホルダーである。

明治3年11月場所に引退し、1年も経たない4年7月23日に45歳で死去した。

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