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コラム

相撲記者長山の「大相撲の巡業(2)」

2019年4月23日 12:30配信

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当初は順調だった「自主興行」だが、その後の相撲人気の陰りとともに事業収益が悪化。巡業形態を見直さざるを得なくなり、平成14年度の猶予期間を経て、15年から再び元の「売り興行」に戻した。

当然勧進元の反応はにぶく、平成4年には94日と、本場所の開催日より多かった巡業の日数も激減。17年にはわずか15日しか開催されなかった。27年は相撲のプチブームもあり、45か所と、巡業の日数も回復傾向にある。

それでも、一番もうかるときに興行権を取り上げたこともあって、赤字覚悟でも引き受けてくれる「タニマチ」的な勧進元は激減してしまった。人気に陰りが見えた時には、また厳しい状況になることが懸念される。

番付に関係のない巡業の取組は、ケガを心配し、土俵際粘る取組が多くないのも周知の事実。それでも巡業にリピーターが数多く存在するのは、握手会などファンと力士の交流の場があることや、前述の通りテレビでは見られない様々なアトラクションが理由だろう。

現在も魅力のあるイベントであることは間違いないが、巡業の最大の目玉は何と言っても稽古でなければならない。普段は部屋単位やせいぜい一門別でしか行われないが、巡業は、すべての力士が参加しているのだから、格好の「武者修行」の場と言っていい。

巡業の稽古は基本的に申し合いが主体となる。多くの力士が土俵を囲み、勝った力士が次に稽古をする力士を指名できる。特例となるのは横綱・大関だけで、例え負けても続けて何番も稽古をすることが許されている。

一門別で巡業を行っていた時は、数多くの番数をこなさないと、とても間が持たず、稽古をせざるを得ない状況だった。

年6場所制と歩調をあわせて巡業が大合併になると、稽古量は当然のごとく減少した。それでも昭和40年代ぐらいまでは、露天での興行も多く、周辺の空き地に円を描いて行う「山稽古」で多くの力士が鍛錬に励んだ。

大鵬などは、大関4、5人を相手に30番以上こなすことがたびたびあったという猛稽古伝説が現在まで語り継がれている。

当時は「巡業で猛稽古をこなし、番付発表後は調整期間に充てる」のが理想の調整方法とされていた。特に例年1か月を超えるロングランだった夏巡業は、本場所に次ぐビッグイベントとされ、「強くなるもならぬも夏巡業次第」とまで言われていた。

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