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相撲記者長山の歴史コラム 相撲記者長山の目「巡業の取材」その4

2019年8月30日 15:10配信

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江戸勧進相撲の初期は、本場所と巡業の区別が判然としておらず、巡業も大相撲同様約300年の歴史がある。

長い間地元の勧進元が相撲協会から一定のギャランティーで興行権を買い取る「売り号表だった。しかし協会は平成7年に長い間の慣例を破って利益のほとんどを協会が得る「自主興行」に変更した。しかしやはりうまくいかず、平成15年には元の「売り興行」に戻している。

自主興行時代には、巡業で様々な新機軸を打ち出していた。

平成7年春巡業の橿原市では、立派なサブ土俵を完備していたが、多くの力士がサブで稽古をしたため、観客のいる本土俵のペース配分が狂ってしまい。終了まで30分も残っているのに、本土俵には貴乃花と朝乃翔の2人だけになってしまい、三番稽古となった。

直前の春場所、新入幕で勝ち越して気分よく巡業に臨んだ朝乃翔だが、この年の初場所に新横綱デビューを果たした全盛期の貴乃花には通じるハズもなく、38番取って全て完敗だった。

翌日の和歌山市巡業は、自主興行の目玉のナイター興行。幕内の稽古は2時10分から始まったが、力士の稽古は午前中という伝統があるので、「どうも調子が出ない」とぼやく力士が多かった。そんな中、この日を締めくくったのも貴乃花と朝乃翔の三番稽古。29番連続と取り、前日に続き危なげない相撲で貴乃花のパーフェクト勝利。

息も絶え絶えに引き揚げてきた朝乃翔は「化け物ですよ、横綱は。あまりに強すぎる。まあ、オレが弱すぎるとも言えますが…」と自虐的に語っていた。

巡業2日目も和歌山市で行われた。貴乃花は魁皇以下の幕内6人を相手に11勝1敗。朝乃翔も貴乃花に一矢報いたいと2番挑んだが、軽くあしらわれて3日間で貴乃花に計69連敗を喫した。その後朝乃翔が回避したため、貴乃花との稽古は行われなかった。

同年の夏巡業4日目の宇都宮場所で、貴乃花が申し合いの途中で朝乃翔を指名した。久しぶりに2人の稽古となり、朝乃翔の対貴乃花との稽古70連敗なるかと、報道陣が固唾を飲んで見守る中、朝乃翔は引き落として見事に貴乃花を撃破した。

当時は貴乃花も横綱に昇進し、相撲ブームもひと段落。巡業に同行するマスコミも激減していたこともあり、朝乃翔が巡業稽古連敗を69でストップしたことが、この巡業で最も大きく扱われた。

朝乃翔「いやー、横綱に勝ってうれしかったですけど、しょせん稽古ですからね。それが翌日のほとんどのスポーツ新聞に載ったのには驚きましたよ。しかも顔写真付きのまでありましたからね(笑)」

と苦笑い。

この快挙(?)に巡業に同行していた師匠の若松親方(元大関朝潮・現高砂)は「双葉山でも70連勝はできなかったんだから」と、分かったような、分からないようなコメントを口にしていた。

巡業の支度部屋で貴乃花を取材する

ところで朝乃翔は近畿大学相撲部から幕下付け出しで角界入り。強度の近眼のため角界初のコンタクトレンズ着用力士としても有名だった。

朝乃翔「自分が話題になるのは、この巡業連敗とか、土俵上でコンタクトを落したとか、あまり名誉じゃないことばかりなんです(笑)。それに普通、学生相撲出身が関取になると結構マスコミは大きく取り扱ってくれるじゃないですか。でも、自分の場合、新十両の時とかにはほとんど話題にならず、取材に来てくれた記者はたった2人だったんですよ(笑)」

朝乃翔は力士の中でもユーモアのセンスが秀逸だった。同部屋には、同じ近畿大学出身でやはりひょうきん者だった朝乃若がおり、某マスコミは2人に

“角界のキンキキッズ”

とキャッチフレーズを付け盛り上げようとした。

しかし、2人そろって活躍することがあまりかなかったこともあり、ほとんど定着せずに終わった。

次回に続く

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