コラム
相撲記者長山の歴史コラム 美男力士列伝 幕末〜昭和戦前④
2020年9月11日 18:00配信
古今美男力士列伝 いくら強くても、顔が鬼瓦みたいな力士ばかりでは相撲興行は盛り上がらない。最近の相撲人気も、遠藤や炎鵬のようなイケメン力士の存在が大きいのは間違いない。 江戸の頃より顔立ちのいい力士は存在しただろうが、錦絵でははっきりと判明できない。写真技術が長足の進歩をみせた幕末以降の美男力士を、個人の独断で列挙してみた。ただしお相撲さんの場合は強さが伴ってこそ、その美貌がより映えるのは間違いなく、三役以上の力士に限定した。
★源氏山頼五郎(関脇) 源氏山は元治元年(1864)2月24日に現在の青森県北津軽郡に生まれた。 明治16年5月場所に初土俵。22年5月場所に幕内へ昇進したものの、その後2度も脱走。帰参して29年5月場所に関脇の座を射止めた。 青森巡業中に暴れていた牛の角を握ってひねり倒したというエピソードがあるくらいの怪力。“白無垢鉄火”と呼ばれた相撲は左四つになるとテコでも動かぬ型を持っていた。 「色の浅黒い、苦み走った好男子で、大関になれる素質を持っていながら、ほとんど稽古をしなかったため関脇で終わった」(増島信吉「相撲人国記」) 174cm、98kgと当時としてバランスの取れた体。大変な人気力士で、大川端を歩いていると、ぞろぞろと人がついてきたという。全国各地に妾(めかけ)の存在があり、酒、女、バクチで身を持ち崩した。 人気におぼれて素質を生かし切れなかった力士の典型と言っていいだろう。
各地に妾がいたと言われるほどモテた源氏山
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