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阿炎(後編):金星を家族に伝えた際の「号泣必至エピソード」

2019年8月29日 12:30配信

日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

今回は、人気力士の一人・阿炎政虎関のインタビュー後編。常に明るい彼であるが、つらい時期も経験した。それを乗り越える原動力はなんだったのか。今後の展望と共に伺った。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

夢のようだった金星、家族で感動を共有

――今までで印象に残っている取組はありますか。

阿炎関(以下、「 」のみ)「金星2つです。初めての金星は、去年の5月場所で白鵬関に勝ったときで、2つ目は次の7月場所で鶴竜関に勝ったとき。今後、この2つの金星を超えるような取組は出てこないんじゃないかなと思っています。また金星を取っても、初めてのときとは比べ物にならないと思う。」

――初めての金星のときは、どんな気持ちでしたか。

「夢かと思いました。勝った後、蹲踞(そんきょ)して勝ち名のりを受けているときに、飛んできた座布団が膝に当たったんですけど、なんとその瞬間まで勝ったことに気づかなかったんです。花道を下りていくと、すぐ横にビデオがあって、そこに映った自分の取組を見て、『おおー! すげー!』って、改めて思いました。興奮状態のまま、すぐにインタビュールームに連れていかれて。でも、そのとき既に泣きそうだったので、一刻も早く帰りたくて、インタビューを自分から切り上げてしまいました(苦笑)。とにかく早く帰って、大声を上げて、喜びを表現したかった。」

――「早くお母さんに報告したいから、帰っていいですか」と言っていましたね。微笑ましいインタビューでした。ご両親に報告したときは、どんな声をかけてもらいましたか。

「母は、何を言っているのかわからないくらい泣いていました。そんな母の声を聞いて、自分も大泣きでした。インタビュールームでも、泣きそうだったのを頑張って我慢していたのに、電話したら家族全員が泣いていて、全然堪えられませんでした。」

――ものすごい体験ですよね。取組に臨む際の作戦はあったんでしょうか。

「立ち合う前はとにかくがむしゃらで、ただ思い切っていくだけ。頭のなかが真っ白でした。結果的に、相手が動いたほうに動いただけです。」

――でもそれくらい、夢中だし必死だということですよね。

「取組が始まっちゃうと、自分でもあんまり覚えていないんです。ただ、だからこそ終わった後にビデオを見返して反省とかはします。それは、負けた相撲のときです。勝った相撲は見ないんですが、気持ちが落ちたときには、勝った相撲を見ていいイメージを取り戻そうとすることもあります。」

周囲からの鼓舞で長い低迷期から脱した

――阿炎関は、入門してから新十両まではとんとん拍子に上がっていきましたが、一時期番付が下がり、再十両までに1年8か月かかりました。長い低迷期だったといえると思うのですが、その間はどんな時期だったのでしょうか。

「十両に上がったときは、『なんだ、やっぱり相撲なんて簡単じゃん』と、本当に天狗になっていました。でも、そう思った瞬間に番付は落ちて、全然上がって来られない日々。相撲への姿勢は適当で、生活が荒れていました。もう本当に辞めようと思っていたとき、同部屋かつ同郷で、昔からよく知っている兄弟子の彩さんに『いつまで腐っているんだ!目を覚ませ!』と怒られたんです。図星でした。自分が甘えているだけだってわかっていたけれど、誰かに指摘してほしかったんです。そのとき、彩さんが自分の思っていたことを全部言ってくれて、稽古場でもかわいがられ、そこから僕は変わりました。」

――彩さんの言葉で改心して、もう一度やる気を出し始めた頃、横綱・鶴竜関の付け人になりました。

「幕下に落ちてちょうど1年がたった、3年前の九州場所からです。あまり多くを語らない人なので、一緒にいて見て学ぼうとしていました。人格者である鶴竜関を見て、自分もこんな風になりたい、頑張りたいと思うようになったら、自然に番付もまた上がっていきました。そこからなんとかここまで這い上がれたので、以前のように調子に乗らないように、いつも気をつけています。失敗から学ばないと、また下まで落ちたら、今度こそ本当に辞めたくなっちゃうので。」

――彩さんからの喝に加え、鶴竜関の下についたことは、素晴らしい学びになったんですね。

「はい。人に優しく自分に厳しい、尊敬できる人です。鶴竜関が人に怒ったところを、僕は一度も見たことがありません。横綱のおかげで、力士としても人としても成長できたと思います。

夢はズバリ「師匠超え」!日々全勝を目指して取り組む

――普段、落ち着いて取り組んでいるように見えますが、緊張することもありますか。

「そりゃあしますよ! よくいわれますが、緊張しない人なんてきっといません。だからといって、緊張を見せていたら、プロじゃないですから。って、たまにバレるけど。」

――その術はどこで身につけたんですか。

「天性の明るい性格ですかね。」

――生活で、何か気をつけていることは?

「常に笑顔でいること。笑う門には福来る、と思っているので。あと、鶴竜関のように、人に対して怒らないようにもしています。」

――後輩の指導のときに怒ることはないんですか。

「教えることはあるけど、基本的には怒らないです。」

――自身の体のケアは、定期的にしていますか。

「痛くないときには行きませんが、どこかに痛みがあると治療には毎日行っています。」

――日々の稽古ではいかがですか。

「自分はいつも、稽古場では本当に弱くて、同部屋の青狼関や幕下力士たちに全く歯が立ちません。本場所だと感じるがままに動けるので大丈夫ですが、稽古場では、本場所と違って考えながら取っているからです。相撲は、稽古場で考えればいい。本場所で、考えないでも体が動くように、稽古場で考えながら稽古するんです。」

――最近、稽古場で考えている課題はなんですか。

「先手必勝で当たっていって、相手よりも先に足を一歩前に出すこと。場所が近づいてくると、こうしたポイントがたくさん出てきて、頭のなかがパンパンになります。それで、場所前の休みで全部空っぽにする。その状態で、場所に臨みます。」

――現在の課題はなんですか。

「課題というか、常日頃の目標は、全勝優勝です。常に全部勝つつもりでいます。」

――いいですね。もっと長期スパンでの夢はありますか。

「師匠超えです。師匠を超えるためにこの部屋でこの世界に入ってきましたから。超えるものは、番付や連続出場記録など、たくさんあるので、全部超えたいです。それが夢かな。」

――では、ファンへのメッセージを最後にお願いします。

「力士は超人なり。だって、毎日軽自動車が突っ込んできているのと変わらないことをやっていて、いつも体はあちこち痛いし。そんな力士たちのすごさを、より多くの人に知ってもらえたらと思います。」

【プロフィール】

阿炎政虎(あび・まさとら)

1994年5月4日、埼玉県生まれ。本名・堀切洸助。錣山部屋所属。小学3年生のときに、草加相撲練修会に入会して相撲を始めた。越谷市立大相模中学校に進学し、第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞。その後、千葉県立流山南高等学校に進学。第61回選抜高校相撲十和田大会において、個人戦で3位、高校総体でベスト16。卒業後、錣山部屋に入門し、2013年5月場所に初土俵。15年3月場所で新十両昇進、四股名を「阿炎」に改める。18年1月場所に新入幕。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、18年に独立。フリーランスの記者として『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『Yoga&Fitness』(フィットネススポーツ)、『剣道日本』などで執筆中。

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