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インタビュー

阿炎(前編):勝負の世界に入って初めて生まれた「独特の感覚」

2019年8月15日 11:30配信

日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

今回登場してもらうのは、その自由奔放な発言でも人気を博す、錣山部屋の阿炎政虎関。長い手足を生かした突き押し相撲を得意とする阿炎関に、小学生から彼を知る筆者がインタビューした。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

師匠譲りの得意の突き押しで日々進化を遂げる

――その長い手足を存分に生かした鋭い突き押し相撲が持ち味の阿炎関です。アマチュアのときから比べて、その威力は進化していると思いますか。

阿炎関(以下、「 」のみ)「体重が増えて重みが増しました。少しずつ力もついていますし、相手の感じる重みは変わったと思います。」

――同じく現役時代は突っ張りが武器であった、元寺尾の錣山親方の指導を仰いでいるわけですが、親方からの指導で印象に残っているものは何かありますか。

「突き押しに関しては、師匠はプロフェッショナルですから、言われたこと一つ一つが大切なものだと思っています。特に何がということではなく、すべてが学びであって、大事なんです。」

――師匠への尊敬の念がやみませんね。

「師匠のことは、尊敬していて大好きです。そうじゃなかったら、その部屋を選ばないでしょう。」

――阿炎関は、高校卒業からプロの世界に入りましたが、以前と比べてどのように強くなっていったと感じていますか。

「応援してくださる皆さんの声のおかげで、自分の力が沸き上がってくるので、アマチュアとプロの差はそこかなと思います。いろんな人に応援してもらって強くなっていくんだなって、本当に実感しました。技術よりもメンタルを学んだ部分が大きいですね。昔は本当に、人に迷惑しかかけていなかったんですけど、いろんな面で大人にしてもらったというか、自分にとっていい環境なのかなと思います。」

“阿炎節”で語られる土俵上での直感

――本場所における心の作り方は、プロになって学んでいったんでしょうか。

「場所に関しては、むしろ子どものときと同じように、がむしゃらだったあの頃を思い出して臨んでいます。場所の土俵では、自分をさらけ出すというか、思い切り何でもやる感じです。細かいことや、相撲のことすら考えたくありません。『人生適当』がモットーなんで(笑)」

――取組前に、どうやって取るか、その対策のようなこともあまり考えない?

「ちょっとだけ考えて、あとは土俵上で決めます。15日間もあるし、長い間相撲のことを考えていたら、疲れちゃうから(笑)」

――事前に考える対策や、土俵で決める作戦は、対戦相手の取り口や得意な形によって考えるということですか。

「いや、うまく言えないんですけど、土俵上で感じる空気のようなものがあるんですよ。『なんか雰囲気変わったな』とか『この人いつもと違うぞ』とか、相手のまとう空気を感じ取るんです。その勘が冴えているときは、僕の調子がいいとき。」

――相手の調子の良しあしがなんとなくわかるんですか。

「調子のよさではなくて…説明するのが難しいんですけど、『行くぞ!』っていう圧とか、『うーん…』っていう迷いとか、僕の調子がいいときには、相手のそういうものが見えるんです。それが見えたら、いいときの証拠。でも、これはやっている人たちにしかわからないことだと思います。」

――アマチュアのときにも同じようなものが見えていたんですか。

「いや、そんなのは見えていないし、気にもしませんでした。負けても勝っても関係ないので。大相撲の世界に入って、メンタル面が育ってからの話です。自分が落ち着いているから見えるようになったことであり、直感的なものです。」

――アスリートがよく言う、いわゆる「ゾーン」のようなものなのかもしれないですね。

「確かに。何をやっても負ける気がしないときもあります。」

錣山親方からの誘いで角界入りを決意

――阿炎関は、埼玉県越谷市の出身で、小学3年生から草加相撲練修会に入会して相撲を始めました。何かきっかけはあったのでしょうか。

「1、2年生のときに、地域の相撲大会で優勝して、クラブにスカウトされたんですが、断っていました。『なんだ、相撲って簡単じゃん』と思っていたら、3年生のときには3位だったんです。それがすごく悔しくて、やっぱりクラブで本格的に習おうと思いました。」

――昔から、相撲は好きなんですね。

「格闘技全般含め、スポーツは何でも見るのもやるのも好きです。小さい頃は、サッカーと器械体操、小学校では相撲のほかに野球や柔道、陸上競技も得意でした。中学ではバレーボール部でしたし、基本的に運動は何でもできます。ただ、相撲の稽古は嫌いですよ。きついし。辞めたいと思ったことはたくさんあります。」

――辞めたいと思ったのに、辞めずにここまで来ている理由は?

「初めて親に『辞めたい』と言ったのは、中学のとき。でも、『もう少しだけ頑張って続けてごらん』と言われて頑張ったら、3年生のときの全中(全国中学校相撲選手権大会)で、個人戦で3位になりました。勝てるようになると、相撲も楽しくなります。それで、中学卒業まで頑張りました。卒業のときに、親にまた『相撲はもうこれで辞めて、普通に働きたい』と話しました。そのときも、『もう少しだけ頑張ってみようよ』と言われて、高校に進学します。1年生のとき、顧問の先生に『辞めたいです』と言ったら、親と同じように『もう少し頑張れ』と言われて…その繰り返しです。」

――周囲の人は、阿炎関の素質を見抜いていたから鼓舞し続けたのでしょうね。

「いろんな人に迷惑かけて、先生方には大変お世話になったので、絶対に卒業しなきゃと思って課題を頑張りましたが、これ以上の進学は望んでいなかったので、大学からの誘いは全部断りました。大会と日程がかぶっていたので、僕は修学旅行に行けなかったのですが、卒業前、父と親しかった師匠(錣山親方)に、3月は大阪に遊びに来ないかと誘われました。『修学旅行代わりに、お金もまわしもいらないから、遊びにおいで』と。それで、最低限の着替えだけ持って、本当に旅行として1週間くらい遊びに行ったのがきっかけで、2013年5月に入門しました。」

――それまでは普通に働こうと思っていたのに、その場で角界入りを決めたのはなぜだったのでしょうか。

「力士って、相撲部屋での生活ってこんな感じなんだなと、そのときに初めてわかったんです。ようやく、具体的に見えたというか。師匠から声をかけていただくのは、そのときが最初ではなかったので、『もうこれで聞くのは最後にする。入門するか?』と聞かれて、『やります』と答えました。僕には、やっぱり相撲しかなかったんです。もし、小さい頃からちゃんと野球をやっていたら、同い年の大谷翔平は超えてたかもしれないのになあ。」

【プロフィール】

阿炎政虎(あび・まさとら)

1994年5月4日、埼玉県生まれ。本名・堀切洸助。錣山部屋所属。小学3年生のときに、草加相撲練修会に入会して相撲を始めた。越谷市立大相模中学校に進学し、第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞。その後、千葉県立流山南高等学校に進学。第61回選抜高校相撲十和田大会において、個人戦で3位、高校総体でベスト16。卒業後、錣山部屋に入門し、2013年5月場所に初土俵。15年3月場所で新十両昇進、四股名を「阿炎」に改める。18年1月場所に新入幕。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、18年に独立。フリーランスの記者として『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『Yoga&Fitness』(フィットネススポーツ)、『剣道日本』などで執筆中。

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