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インタビュー

貴景勝(後編):大関の考える相撲特有の魅力とは?

2020年2月28日 12:05配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

何事も論理的に思考し、冷静に物事を分析する貴景勝関。しかし、大関になるまでも、上がってからも、人知れぬ苦労があった。最後の番付を見据える大関に、これまでの土俵と今後の目標について伺った。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

黒星が導いた初優勝 その気づきとは

――今までで、印象に残っている取組はありますか。

「初優勝した2018年11月場所、14日目に高安関に負けた取組です。相撲人生のなかで一番いい緊張感で取れたと思っています。勝てば優勝というところで、強い自分が弱い自分に打ち勝ち、自分を信じ切ることができました。結果は負けでしたが、自分を信じ切れたことで、これはいけると思えたんです。この精神状態でいれば明日は勝てると思ったので、その日は負けてもあまり落ち込みませんでした」

――実際、千秋楽で勝って優勝を決めています。初優勝はいかがでしたか。

「夢のようでしたね。優勝なんて、まだまだ先のことだと思っていました。当時は小結だったので、まずは関脇になって、頑張って大関になって、そこからようやく優勝を目指そうという感じで、関脇より先に優勝が来るとは思っていなかったんです。うれしいというより、夢のような信じられない気持ちでした。でも、やっぱりあの14日目があったから、大関にもなれたと思っています。弱い自分に負けずにやり切れたのは、その後の精神的な気づきにもなりました。結果は負けたけれど、あそこで変な相撲で勝って優勝していても、大関にはなれなかったと思います」

――黒星のなかに大きな意味があったと。深いですね。

「今まで、いろんな指導者に“負けて覚える相撲かな”は、ないと言われてきました。勝っていかないと相撲は覚えないんだと。でも、あの相撲だけは負けて覚えたと思っています」

――翌19年1月場所も11勝4敗、足を痛めながらも3月場所で10勝を上げ、大関に昇進しました。この道のりはいかがでしたか。

「正直、長くてつらかったですね。1月の千秋楽で負けて右足裏を痛めて、3月場所もどうかなというところでした。10番勝たなければならないところ、14日目までで9勝。最後の最後まで争ったので、よく眠れなかったし、優勝したときの精神状態ではいられませんでした。でも、だからこそ最後に勝って大関に上がったときは、めっちゃうれしかったです」

――よろこびはひとしおだったのでは?

「相撲をやってきてよかったと一番思った瞬間でした。関取にさえなれるのかなと思って入ってきているので、大関なんて、相当難しいというか、なれるとしてもものすごい時間がかかるものだと思っていましたから。でも、いざなってみると、仮に1場所負け越しても、次でまた8番勝てればその地位を保てます。それで、じゃあできるかなと思ったんですが、そんなに甘いものではありませんでした。今でこそまたこの地位に戻れていますが、一度は陥落しました。大関になったことがある人にしか、この気持ちはわからないと思います」

大関の考える相撲特有の魅力

――力士になられてから、相撲の魅力はどのようなところにあるとお考えですか。

「国技であり伝統文化であるところ。プロになったからには、なぜ自分たちが着物を着てちょんまげを結っているのか、その意味と良さをよく考えて取り組んでいかなくてはいけないなと思います。これからは、そういったことを一般の人や、日本を訪れている外国の方にも伝えていく必要があります。相撲には、勝ち負け以上の良さがあるんです。ほかのスポーツだったら、勝ち負けに伴う感情を表す場面は多いけれど、相撲は礼に始まり礼に終わる。感情を出さず、相手に敬意を払う文化を伝えられれば、相撲には勝ち負け以上に美しいものがあるんだなと、より多くの人に理解してもらえると思っています」

――土俵上では、ガッツポーズなどの過度なパフォーマンスはよしとされていませんね。学生相撲ですら、審判に怒られてしまいます。

「本当だったら、僕らだって皆さんの前で仏頂面なんてしていたくないですよ。でも、それは僕たち力士に、昔からの文化を継承していく義務があるからです。お相撲さんは、横綱・大関に勝った後のインタビュールームでべらべら余計なことをしゃべらない。それが美学なんです。もちろん、愛想が悪いなと思う人もいるでしょうし、僕自身も『もっと笑ったほうが人気出るよ』と散々言われてきました。でも、愛想や人気以前に、負けた相手に敬意を払うのであれば、インタビュールームでニコニコ笑って受け答えするのは相手に対して失礼です。自分が大関になった今でこそ、インタビュールームに呼ばれることはほとんどなくなりましたが、それまでは僕は特に気を付けていました」

大関へのランダムクエスチョンと今後の目標

――ここで少し、いろいろな質問をさせてください。休みがあったら何をしたいですか。

「温泉に行きたいです。サウナが好きだから。交代浴というか、サウナで死にそうになるまで粘って、その後思いっきり水風呂に入ると気持ちいいんです(笑)。もし、1週間くらい自由にしていていいと言われたら、ハワイとか南国に旅行に行きたいですね」

――趣味はなんですか。

「ボクシング観戦。見に行ったことは1回しかありませんが、テレビでよく見ています。辰吉丈一郎さんが好きでした」

――もし、過去の力士と対戦するなら、誰と当たってみたいですか。

「元大関の、初代貴ノ花関です。あの細い体であの足腰の強さ。僕は体重をつけてパワーでもっていくスタイルですが、彼は体重のなさを足腰一つで補った力士なので、いったいどんなに強靱な足腰だったのか、一回経験してみたいですね」

――ありがとうございました。では最後に、今後の目標をお聞かせください。

「長い目で見ると、上の番付はあと1つしか残っていません。突き押し相撲の小さいお相撲さんが、横綱になれるんだぞということを、少年相撲の子どもたちに見せたいです。特に小さい頃は、どうしても体の大きい子がたくさん勝つので、嫌になってやめてしまう小さい子が多いと思います。でも、僕はそこで諦めずにここまできました。僕自身が、小さくてなかなか勝てない子どもたちの希望になれたらいいなと思いますね」

【プロフィール】

貴景勝光信(たかけいしょう・みつのぶ)

1996年8月5日、兵庫県芦屋市生まれ。本名・佐藤貴信。千賀ノ浦部屋所属。幼少期は空手を習い、小学3年生から相撲を始める。中学校では報徳学園中学校に進学し、3年時に全国中学生相撲選手権大会優勝。その後、埼玉栄高校に特待生として入学し、全国大会7タイトル獲得。まだ3年生だった2014年9月場所で貴乃花部屋に入門し、初土俵を踏む。その後、順調に番付を上げ、16年5月場所で新十両へ昇進。11月場所で十両優勝を決め、翌17年1月場所で新入幕、18年1月場所で新三役。その年の10月に、貴乃花部屋が消滅したことにより千賀ノ浦部屋に移籍。しかし、騒動をものともせず、11月場所に幕内初優勝を果たした。19年3月場所の後、所要28場所で大関に昇進。日本出身力士史上1位のスピード記録となった。その後、ケガに泣き2場所で大関陥落となるも、9月場所で10勝を挙げ特例復帰。3月場所では、38年ぶりの一人大関となる。得意技は突き、押し。身長174cm、体重170kg。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、18年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』『Yoga&Fitness』(共にフィットネススポーツ)などで執筆中。

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