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玉鷲(前編):「30代になってからが一番強い」進化し続ける秘訣は?

2019年11月14日 12:51配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

登場いただくのは、角界きってのベテラン力士・玉鷲一朗関。史上2位の高齢記録で初優勝を遂げるなど、30代に入ってからのほうがむしろ強さに磨きがかかってきている。これまでの土俵について話を伺った。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

相撲を楽しむ気持ちが生まれ30代からも進化を続ける

――玉鷲関は、長身にもかかわらず、四つに組むのではなく押し相撲が特徴でいらっしゃいます。そのスタイルには何か理由があるのでしょうか。

玉鷲関(以下、「」のみ)「私はあまり技がうまくないし、不器用なんです。スポーツ全般的に器用じゃなくて、単純に力があるだけ。でも、人にはそれぞれのいいところや武器があります。自分の強さをうまく生かすためには、押し相撲が一番なんです。力が落ちたら終わりだなと思っています」

――自身の力を保つために、どのようなことを心がけていますか。

「素直でいること。弱いと思ったらそれを認めて、強くなるためにどうしたらいいのかを具体的に考えるんですね。やみくもに『まだ大丈夫』『きっと何とかなる』と言い聞かせるんじゃなくて、どこが弱いからどんなふうに強化すればいいかを考えます。自分で考えるだけでなく、素直に周りの意見も受け止めて取り入れようともしています」

――角界ではベテランと呼ばれる域ですが、10代・20代の頃から比べて、ご自身の進化をどのように分析していますか。

「30代になってからが一番強いですね。それはやっぱり気持ちの問題です。20代は、根拠なく何とかなるだろうと思っていたし、落ち着きと集中力がありませんでした。今は落ち着いて、集中力がついてきたことで、結果も出ています。若い頃は、勝たなくちゃ、勝ち越さなくちゃという気持ちが強くありました。そこから心の変化が出てきて、今は、自分の相撲をやり切ること、相撲を楽しむことが最優先になっています。それが大きいんじゃないかな」

理想の立ち合いを求めて日々研究

――普段、取組に際しては、相手の研究をしたり、その日の取組を振り返って反省したりするのでしょうか。

「相手の研究というよりは、自分のことを考えます。この人にはこうしよう、ではなく、自分の力を相手に対してどう生かすかをシミュレーションするんです。押す人、突っ張る人、おっつける人、みんなそれぞれスタイルが違うのですが、人のことばかり見ていると、相手に合わせて体が止まったり、前に出られなくなったりと、自分の動きや感覚がおかしくなってしまいます。自分の場合は、立ち合いが一番大事です。それですべて決まるので、いい立ち合いができるようにつくっていきます」

――ご自身での理想の立ち合いとは、どのようなものですか。

「右手を少し前に出した状態で、両手は頭よりも若干先に当たる感じです。頭が当たったら、そのまま両手を前に突き放します。昔、膝を打ってケガしてしまったときに、立ち合いを改良しようと思っていろんな力士を見て研究しました。特に、妙義龍(みょうぎりゅう)関の手を置くときの力強さと立つときの低さ。それを真似することによって、だいぶ調子がよくなりました」

――見ていると、昔は仕切り線から少し下がった位置で立っていたのに、ここ数年は仕切り線ギリギリの位置で立っている感じがするのですが、それは意図的に変えたのでしょうか。

「そうです。ここのところは、年を重ねて体力的にも衰えてきているので、今まで以上に瞬発力を上げることが課題になっています。力があったときは後ろから立ってもよかったのですが、今はなるべく相手に近いところで立つことで、よりスピードと瞬発力を上げて威力が増すようにしています」

愛する家族が支えた悲願の初優勝

――今までで印象に残る場面はありますか。

「横綱・白鵬関に勝ったとき。あのときは気持ちよかったですね。どうだ! って」

――何か作戦はあったのですか。

「自分はすぐに熱くなってしまう性格です。立ち合いで張られたら、カッとなって体が一瞬で固まってしまいます。相手は天才です。そこまでわかっているので、私の体が固くなったら対処しやすいことも知っています。だから、そのペースに乗らないようにすることだけを心がけていました。やっぱり、冷静な心が大切なんです」

――その場所は、悲願の初優勝を果たした場所でもありました。

「はい。多くを経験して、15日間の苦しさや緊張感も味わいました。12日目に横綱に勝った後の3日間は、特にしんどかった。ずっと緊張していて、寝れもしない、食事も喉を通らない。14日目の碧山戦は、本当に自分がどうやって相撲をとればいいのかもわかりませんでした」

――しかし、結果としてはその3日間を白星で締めくくっての優勝となりました。千秋楽には2人目のお子さんも誕生し、喜びはひとしおだったでしょう。奥様の支えも大きかったのだとか。

「はい、本当にそうです。千秋楽が出産予定日だったので、私はその前からずっとそわそわしていました。というのも、1人目のときもちょうど予定日通りに生まれたんです。当時も場所中だったので、奥さんは一人で病院に行って、一人で子どもを抱えて退院しました。その姿を見て悲しくて、もう絶対に彼女にこんな寂しい思いはさせないと心に誓ったんです。だから、10日目くらいに、奥さんに『どうしよう、千秋楽は忙しくなっちゃうかもしれないね』と言ったら、『何言っているの! あなたは場所に集中しなさい』と言われました。それを聞いたら、なんだか体の力が抜けて、本当に集中して最後まで取り切ることができたんです。どんなときも心の支えになってくれている彼女には、感謝してもしきれません」

――家族あっての結果だったのですね。

「家族がいない地方場所だったら、優勝できていなかったでしょう。そういう意味で、いろんな要素がはまっていたからこその結果だったと思っています」

後編へ続く

【プロフィール】

玉鷲一朗(たまわし・いちろう)

1984年11月16日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。本名・バトジャルガリーン・ムンホルギル。片男波部屋所属。東京大学大学院に在籍していた姉を頼って、2003年に初来日。片男波部屋に入門し、04年1月場所に初土俵を踏む。相撲経験がなかったにもかかわらず、07年9月場所で幕下優勝を果たし、08年1月場所で新十両へ昇進、9月場所で新入幕。15年3月場所で新三役(小結)、17年1月場所で新関脇に昇進。さらに、19年1月場所では悲願の初優勝を果たした。34歳2か月での初優勝は、旭天鵬(37歳8か月)に次ぐ史上2位の高齢記録であり、初土俵からの所要90場所と新入幕から所要62場所は、史上4位のスロー記録となった。得意技は押し。身長189cm、体重172kg。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、18年に独立。フリーランスの記者として『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『Yoga&Fitness』(フィットネススポーツ)、『剣道日本』などで執筆中。

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