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インタビュー

朝乃山(後編):「社会人をしながらアマチュア相撲をしようと……」転機になったあの瞬間

2020年6月29日 12:11配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

新大関・朝乃山関のインタビュー後編。今回は、相撲を始めたきっかけや高校の恩師とのエピソード、さらにプライベートの素顔までお届けする。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

大学まで相撲を続け恩師の言葉で角界入りへ

――朝乃山関が相撲を始めたきっかけはなんだったのですか。小さい頃からスポーツが好きだったのでしょうか。

朝乃山関(以下、「」のみ)「小学生の頃は、水泳や球技が好きでした。走るのはダメでしたが、肩が強かったんです。相撲も遊びの延長でしていて、友達みんなとワイワイ楽しんでいました。途中からスポーツは相撲とハンドボールに絞ってやっていたら、ハンドボールでは自動的にキーパーになりました(笑)。本格的に相撲を始めたのは、中学生からです。中学生でも最初はハンドボール部に入ったんですが、やっぱりランニングがキツくて辞めてしまい、どうしようかなと思っていたところを相撲部の顧問に誘われ、やってみようと思いました」

――公立の中学校に相撲部があるのは、珍しいですよね。

「僕はあまり珍しいと思っていなくて、というのも、僕が通っていた富山市立呉羽中学校は、全国大会にも行く有名校だったからです。でも、3年生で都道府県大会に出たときに、左肘をケガしてしまいました。その後、富山商業高校の浦山英樹先生に声かけてもらって進学しました。高校を卒業したら就活しようと思ったけど、近畿大学に声をかけられ大学までやりました。浦山先生も近大出身で、たまに稽古にも行かせてもらっていたことがご縁でした」

――近畿大学は、それこそ相撲の名門校です。4年間、つらい経験もあったと思います。

「1年生のときは、雑用ばかりで稽古どころではないので、1年からレギュラーになれることは滅多にないんです。自分は2回だけありましたが、全然勝てなくて悔しい思いをしました。2年生からは、1年生に雑用を教えることで負担が減ってきて、その分稽古に集中できるようになるので、何度かレギュラーに選んでもらいました。3年生からは、固定でレギュラーです。4年生になったら、就活して社会人をしながらアマチュア相撲をしようと思っていましたが、高校の浦山先生に『プロに行け』と言われて『わかりました』と言いました。浦山先生の言うことはずっと聞いてきているんです。それで、いまの部屋付き親方である若松親方にちょっとずつ誘われるようになったので、高砂部屋に行こうと決心しました」

――進路選択のとき、やはり大学でも一度就活しようかとも考えたわけですね。

「はい。大学生でも社会人と一緒に出られる大会があって、そこに行くと皆さんすごく楽しそうに見えたので、内心そういうのもいいなと思っていました。でも、プロとしてここまで来られたので、入門してよかったと思っています。富山県出身力士は、いまは4人と少ないほうで、僕が入るまでは2人くらいだったので、入ったからには有名になりたかったんです。全国で有名になって、富山に恩返ししたいという思いと、同級生や先輩たちを見返してやろうという気持ちがありました」

得意の右四つを磨き課題克服にも取り組む

――朝乃山関は、右四つの型をもって相手に圧力をかけ、前に出る相撲が特徴的です。いつ頃からいまのようなスタイルになったのでしょうか。

「中学生では、体を生かして前に出る押し相撲のスタイルで本格的に稽古をして、肘をケガしました。四つ相撲を覚えたのは高校からです。先生は左四つでしたが、自分は左肘にケガをして怖かったので、右四つにしました」

――力士の取組などを見て、研究することもあったのですか。

「先生に、テレビで大相撲を見て研究しなさいと言われた記憶があるので、当時白鵬関や栃ノ心関といった右四つの力士を参考にして、工夫しようと見ていました」

――現在もそうですが、型や技術はどのように磨いているのでしょうか。

「見たものをすぐに体現はできないので、稽古しながら身につけています。いまの課題は、立ち合いの厳しさが足りないこと。この地位なので、相手に攻められても、我慢して自分の形になることも必要です。右四つだって、完成したものではありません。立ち合いで当たって前に出るといった、自分のいいところは伸ばしていきたいし、悪いところは直していきたいと思っています」

――高校のときに参考にしていた白鵬関や栃ノ心関と、いまは同じ土俵で戦っているいまを、どうご覧になられますか。

「自分でも考えられないです。雲の上の存在だったので、本土俵で対戦するなんて、自分でもびっくりしました」

新大関の素顔

――趣味はありますか。Stay Homeが呼びかけられているいま、部屋ではどう過ごしていることが多いんでしょうか。

「趣味はあまりなくて、探し中です。最近では映画鑑賞をしています。普段から、映画館は狭いので、新しい作品もDVDになるまで待ちます。いまはU-NEXTに登録して、海外のアクション映画ばっかり見ていますね」

――おススメの映画はありますか?

「『ジョン・ウィック』とか。1~3まであるんですが、1つ上の先輩の付き人に面白いからと勧められて、1と2をGEOに借りに行ってDVD見て、最新の3はU-NEXTで見ました。面白かったです」

――優しい印象の朝乃山関、女性ファンも多いと思います。バレンタインはたくさんチョコレートをもらうのでは?

「今年のバレンタインは、最初3~4つもらっていたんですが、後援会のパーティーのためにいったん東京へ帰ったところ、段ボール2箱分も届いていてびっくりしました。全部は食べられないけど、部屋のみんなで分け合って食べました。糖分はあまりとりすぎないように気を付けていますが、疲れたときに糖分とるのは大事なので、ありがたかったです」

――将来、結婚願望はありますか。

「子どもが好きなので、結婚はしたいです。男の子と女の子で2人くらい子どもがいたらいいなと思うし、犬が好きなので、小型犬も飼いたい。奥さんに手作り弁当を作ってもらって、みんなで公園に遊びに行って、子どもと犬がじゃれ合っているのを見て癒されたいです。いまは、ここまで来たので、自分に対してもっと相撲にかける時間がほしいと思っていますが、家庭を築くことも昔からの夢です」

――プライベートなことまで、いろいろとお答えいただきありがとうございました。7月は、本来ならば名古屋場所ですが、東京の両国国技館で、無観客での開催を目指しています。最後に、来場所の目標と今後の展望をお聞かせください。

「開催されるなら、新大関なので、高い目標をもって優勝を目指して頑張りたいと思います。大関という一つの目標を達成できたので、今後はあともうひとつ上の番付を目指していきたいです」

【プロフィール】

朝乃山英樹(あさのやま・ひでき)

1994年3月1日生まれ。富山県富山市出身。小学4年生からハンドボールと並行して相撲を始め、中学生から相撲部で本格的に取り組む。卒業後、富山商業高校に進学。3年時に選抜高校相撲十和田大会で準優勝。卒業後は近畿大学経営学部に進学。4年時、2015年の国体で団体優勝に貢献、成年の部で4位。全日本相撲選手権大会でベスト4の成績を収め、三段目付出資格を取得。高砂部屋への入門を発表し、翌16年3月場所で初土俵を踏む。1年後には新十両に、さらに9月場所には新入幕と、とんとん拍子に番付を上げた。以後幕尻で低迷するが、19年5月場所、12勝3敗の成績で幕内最高優勝を果たし、ドナルド・トランプ大統領から「アメリカ合衆国大統領杯」を授与された。さらに、大関取りであった今年の3月場所で二桁勝利を挙げ、新大関に昇進した。身長188センチ、体重172キロ。得意は右四つ、寄り、上手投げ。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! Japanなどで執筆中。

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