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インタビュー

北勝富士(後編):愛のパワーでさらに進化!家族思いな素顔とは

2020年12月23日 09:30配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

28歳。ますます頭角を現し、返り三役・さらには大関の地位も狙っている北勝富士関。電話インタビュー後編となる今回は、真面目でまっすぐな彼の人柄に触れると同時に、改めて相撲の魅力をお話しいただいた。

(聞き手・文・撮影=飯塚さき)

記憶に残るライバル・御嶽海との一番

――これまで、印象に残っている取組はありますか。

北勝富士関(以下、「」のみ)「御嶽海との一番ですね。自分は前相撲からで、彼は幕下付出でデビューしました。最初は差が広かったけど、どんどん狭まってきて、やっと対戦できるようになったときは感慨深かったし、初顔合わせのときは負けたんですが、3回目の対戦で勝ったときはうれしかったです」

――御嶽海関と北勝富士関のお二人は、同い年で学生時代からのライバルです。4年生のインカレでは、決勝で当たり、勝ったほうが大学横綱。幕下付出の資格が得られるという一番でした。

「その決勝で彼に負けたんです。悔しくて夢にまで出てきました。まさに、天国と地獄。でも、本場所の土俵で勝った瞬間、あのときの自分を超えられた気がしました。一生心に残る取組ですし、変な話、横綱に勝つよりうれしかった。もちろん、今後何十回も対戦していく力士ですから、これからも切磋琢磨して頑張っていきたいと思います」

――当時の悔しさは相当なものがあったと想像しますが、こうして下から腐らずに這い上がってきた関取だからこそ、揺るぎない強さがあるんだと思います。

「序二段くらいのとき、(師匠・八角)親方に言われたのが、『大事なのは、いまの番付や勝敗よりも、最終的にどこにいるか。上に立った者が勝ちだ』。その言葉で、頑張ろうと思えました。親方は、言ったことを忘れているかもしれないけど(笑)。でも、当時は本当に、早く上に上がらなきゃと焦っていたので、そういう自分の心を、親方は見抜いていたのかもしれません」

真面目で安定志向なお相撲さん

――改めて、北勝富士関が相撲を始めたきっかけは、なんだったのでしょうか。

「小2のときに出たわんぱく相撲で、準優勝したことです。普通の子よりも体が大きかったので、母親に出てみたらと言われて出ました。次の年も準優勝だったので、優勝のトロフィーがほしくて、4年生に上がったときに、入間に相撲クラブがあると聞いて入りました」

――それ以前にも、スポーツ経験があったんですよね。

「水泳、野球、サッカー、バスケもやっていて、面白かったんですけど…、こう言うと嫌味に聞こえちゃうんですが、何をしてもなんとなくすぐできてしまって、誘ってくれた子よりもうまくなっちゃうので、申し訳ない気持ちになって。その点、相撲クラブに行ったら、びっくりするほど全然勝てなくて、それで燃えたんです。前まではちょっとやったらできたのに、相撲ではボコボコにされて、みんな強いなあと思いました。どんどんやっていくうちに、自分が強くなっていくのもなんとなくわかる感覚もあって、それが楽しかったんです」

――うまくなって天狗になるどころか、申し訳ない気持ちになってしまうのが、なんとも真面目な北勝富士関らしいエピソードですね(笑)。

「良くも悪くも真面目な性格なのは、自覚しています…。現実思考で、保険をかけたいタイプの人間で。大学に行ったのも、教員免許を取ったのも、人生の保険をかけるためでした。力士になってからも、安定した生活のために、関取に上がるだけでなく、親方として協会に残りたい気持ちが強いので、三役までいこうと思って頑張ってきました。だからこそ、小結に上がったときはうれしかったですね。そうやってひとつひとつ目標を立てて、自分の心と生活が安定するように生きてきています」

――安定志向のお相撲さん。面白いですよね。でも、だからこそ目の前の目標を順番に達成して、いまの関取の姿があるように感じられます。現在28歳ですが、30歳になったときの自分をどう想像していますか。

「いまの目標は、大関昇進と優勝です。そのためにいま頑張っているので、30歳になったらどうなっているかは想像できませんね。年齢を重ねるごとに筋トレを工夫したり、ケアをしたりしてケガを少なくしているので、30歳になっても同じようにやっていると思うし、さらに進化して返り三役、さらに大関になれたらいいなと思っています。自分の相撲スタイル的には、35歳以上までできると思っていないので、区切りはどこかであるんです。もうひとつの目標は、幕内で60場所出場。そうしたら自分の部屋をもてるので、30歳はそれを現実的に追っていると思います。でも、安定志向がすごすぎて、気持ちを押さえちゃう部分があるから横綱にはなれないのかなあ…とも思ったりしています」

愛のパワーでさらに進化

――もともと真面目な北勝富士関ですが、やはり昨年ご結婚されたことで、安定志向に拍車がかかったのではないでしょうか。

「それはありますね。自分一人なら引退後も別に何をしていてもいいかなと思いますけど、家族がいるからこそ、路頭に迷わせるようなことは絶対にしたくないし、親方として協会に残って安定的な生活をしたいと望むようになりました」

――劇団四季が大好きだそうですが、奥さんとも一緒に見に行くんですか。

「はい、最近は部屋から外出許可をもらって見に行っています」

――どんなところが魅力なんですか。

「みんな一発勝負で、声が裏返ったり噛んだりすることがほとんどないのは、プロとして稽古を積んでいるからであって、それは力士と一緒なんですよね。演者の方とお話しすると、やっぱりそういう話になって、刺激をもらっています」

――コロナ禍で、外出がなかなかできない期間が続いていますが、おうちではどんなふうに過ごしていますか。

「カラオケの機械を買って、家で歌っています。マイクもちゃんとしたやつを買ったので、それでストレス発散していますね」

――奥さまには、食事面も支えてもらっているんですよね。

「はい。前は161キロくらいで、場所中は痩せて160キロ切ってしまっていましたが、今場所は166~168キロくらいまで増やしてみたのがよかったと思っています。大きくなるために、奥さんが工夫してたくさんご飯を作ってくれました。髷を結ってもらっているときや治療中にもおにぎりを2つくらい食べて、空腹の時間をなるべく減らしたんです。前への圧力がかかりましたし、押されても残れるようになりました。コロナの影響で、逆にいろんな気づきがあったり家族との時間が増えたりしたので、よかった部分もありました」

――ありがとうございます。最後に、北勝富士関が思う、相撲の魅力を教えてください。

「勝ち負けや圧巻の激しさも魅力ですが、やっぱり国技としての相撲の在り方をもう一度見てほしいですね。力士はなぜ四股を踏むのか、塵手水などの所作をするのか。僕らがひとつひとつの所作をきれいにすることによって、そちらの側面からも見てもらいたいなと思っています。礼に始まり礼に終わる感謝の気持ちをお客様に見てほしいし、江戸時代から親しまれている国技を大切にしてほしい。髷をつけて着物を着て、日本の伝統文化を現世に残しているのはお相撲さんだけなので、そのことを再確認してみてほしいですね」

【プロフィール】

北勝富士大輝(ほくとふじ・だいき)

1992年7月15日生まれ。埼玉県所沢市出身。小学2年、3年次にわんぱく相撲で準優勝し、4年生から入間少年相撲クラブで本格的に相撲を始める。高校は埼玉栄に進学し、3年次に高校総体で優勝。日本体育大学体育学部武道学科進学後、2年次に東日本学生相撲個人体重別選手権135キロ以上級と全国学生相撲選手権大会で優勝し、大相撲の幕下15枚目格付出資格を獲得。しかし、卒業を待ったことと4年次にタイトルが獲得できなかったことで、付出資格を失った。八角部屋に入門し、2015年3月場所で前相撲から初土俵を踏む。翌年7月場所で新十両、11月場所で新入幕と、前相撲からわずか10場所で新入幕のスピード出世を果たした。2019年3月場所で新三役。東前頭4枚目で迎えた先の11月場所では、11勝4敗の好成績で、返り三役への望みを残した。身長185cm、体重166kg。得意は押し。

【著者プロフィール】

飯塚さき(いいづか・さき)

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! ニュースなどで執筆中。

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