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インタビュー

高安(後編):波乱万丈の土俵人生 強さの復活へのカギとは

2022年4月26日 10:00配信

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日本の伝統文化を色濃く継承する、華やかな大相撲の世界。力士たちは皆、なぜこの道を志し、日々土俵に向かっているのだろうか。本連載コラムでは、さまざまな人気力士たちにインタビューし、その素顔を探っていく。

中学卒業と共に、それまでまったく経験のなかった相撲の世界に飛び込んだ高安関。大関への昇進とケガによる陥落など、多くの経験をしてきた関取に、部屋の兄弟子である二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)への思いを含め、これまでの土俵人生を振り返っていただいた。

聞き手・文・撮影/飯塚さき

二所ノ関親方の独立で得た気づきとは

――これまでで、印象的な場所はありますか。

高安関(以下、「」のみ)「勝った相撲ではなく、負けたほうが心に残っています。2018年九州場所、千秋楽で6勝8敗の御嶽海に負けた相撲は悔しかったですね。勝っていれば貴景勝と優勝決定戦でした。14日目に貴景勝に勝って追いついて、なんとか決定戦までいこうという気持ちで取っていたので、最後に落としたのが悔しかったですね。でも、あの負けがあったからこれまで必死にやってきました。悔しい気持ちがあったからこそ、それが糧になる。負けた相撲が印象的なのは、それが一番の理由ですね」

――2020年には大関から陥落。つらい時期も経験されました。

「腰のケガで陥落して、陥落後の場所で足をケガして、2020年は本当に大変でした。番付は急降下でしたし、加えてコロナで場所もなくなった。精神的に苦しい年でした。乗り越えられたのは、やっぱり結婚して子供ができたから。それがなければ投げやりになっていたかもしれません。つらかったけど、家族が励ましてくれましたし、師匠や二所ノ関親方にも力になってもらいました」

――二所ノ関親方は、昨年田子ノ浦部屋から独立しました。離れてしまってからはいかがでしたか。

「たまに会う機会はありますし、メールもします。今回も場所後に連絡が来て、15日間いい相撲だったと言っていただけたので、ありがたくまた頑張ろうと思えました。ただ、二所ノ関親方の独立は、正直心細かったです。稽古できないし、これからどうするんだろうって。でも、いなくなったら若い衆と工夫して相撲を取るようになりました。力量の差はありますが、若い衆一人一人取り口の個性があります。右から左から攻めてくる力士、突っ張ってくる力士、まわしを取ってくる力士。そういった面では、頭を使って相撲を取れています。体力的な疲れではなく、使わない筋肉を使ったような疲れがあるんです。二所ノ関親方とは力強い相撲を取りましたが、お互いにどういう攻めをするか、ずっとやってきてやり慣れている稽古相手です。普段やらない若い衆との相撲のほうが、変に疲れる。若い衆との相撲も大事だなという気づきがありました」

――心細い半面、プラスの面もあったんですね。

「僕が入門したのは田子ノ浦部屋ではなく鳴戸部屋で、当時の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が、若い衆との稽古を大事に指導していたので、そのときのことを思い出しました。僕がまだ幕下だった頃に、当時の稀勢の里関に胸を借りて、たくさん稽古をつけてもらったんです。師匠は、『関取は下の者に稽古をつけて汗を流してから自分たちの稽古をするんだ』とよく言っていました。もちろん、二所ノ関親方がいなくなってよかったってわけじゃなくて(笑)、やっぱりそこはデメリットのほうが大きいんですが、気づいたことはたくさんあるのでプラスにしていきたい。出稽古が解禁になって、二所ノ関部屋に出稽古に行ければ、よりいいでしょうね。二所ノ関親方が離れてから、去年の下半期の成績がよくなかったので心配かけていたんですが、今場所の相撲で少し安心してもらえたかなと思います」

先代の鳴戸親方に口説かれ、相撲の道へ

――関取が角界に入ったきっかけを教えてください。

「小学生から、リトルリーグで硬式野球を、中学では部活で軟式野球をやっていました。中学3年生の2学期の終わりに個人面談があり、担任の先生から『高安は大きいから相撲をやったら大成するんじゃないか』と言われました。最初は乗り気じゃなかったんですが、家でその話をしたら、父が相撲好きだったので、父に見学だけでもと勧められたんです。当時、同郷の稀勢の里関が幕内に上がったばかりで、地元でニュースになったことと、師匠になる隆の里関は、糖尿病で苦労したお相撲さんで、厳しい指導でとてもいい部屋だということで、鳴戸部屋に見学のアポを取りました。親方の自宅に行くと、パンツ一丁になりなさいと言われて体を触られて、『筋肉が柔らかくていいね、これは伸びるよ』とほめ倒されて口説かれたんですね。自分も単純ですし、体を動かすのは好きでしたから、体を動かして飯が食える世界ならいいかなと思って、すっかりその気になって入りました。3学期に入って、担任の先生に『相撲部屋決まりました!』って言ったら、びっくりされましたね」

――野球をやってきたのに、未経験の相撲の世界に入るのは不安ではなかったですか。

「相撲は、野球と違って1軍・2軍がないから、入ったらすぐプロデビューできるのもいいなと思ったんです。あまり深く考えませんでしたね(笑)。勉強も好きじゃなかったし、身一つで稼げるなら、自分の大きい体を生かしたいなと思い、こういう道に進むことになりました。ただ、入ってからは苦しみました。あまりのつらさに夜逃げしたこともたくさんありましたが、厳しく育ててもらったので、いまとなっては本当に感謝しています」

――入門するまで、相撲に興味はなかったんですね。

「僕は相撲に興味がないし、まったく見ていなかったんですが、父と祖父が好きでした。父は、15歳のときに相撲界に入ろうとしたけど、身長は170cmくらいで細かったから、周りからやめとけと言われて諦めたみたいなんです。そういうこともあって、入門しただけで父は喜んでくれました」

強さの復活は筋肉と体重の戻りに起因

――あこがれの力士はいますか。

「先代の師匠ですかね。入った直後は何もわからなかったので、まずは師匠の過去の映像を見ました。元横綱・隆の里は、怪力の持ち主で、ポパイと呼ばれた人です。稽古場でも『まわしを取ったら持ち上げちまえばいいんだ』『吊っちまえば相手は力が出ないだろう』って。師匠の怪力にはあこがれました。先代には、いまの土台を作ってもらって感謝しています」

――趣味はなんですか。

「歌ですかね。カラオケによく行きます。歌うことが発散になりますからね。コロナでなかなかカラオケボックスに行けなかったので、家のテレビでJOYSOUNDを契約して、マイクで歌っていましたよ。娘は、母親に似ればいいですね」※妻は演歌歌手の杜このみさん

――食事で気をつけていることはありますか。

「バランスよく、ひたすら量を食べること。食事に関してもいろいろ研究しましたが、一番いいのはストレスなくバランスよくたくさん食べて、摂取した分稽古場でしっかり消費して筋肉に変えることです。食べた分、体を動かしています」

――関取でも、たくさん食べることがポイントなんですね。

「もともと古傷の腰痛があり、大関時代のパワーを生かした相撲で悪化させてしまって、それから体重を落としていました。でも、2年くらいかけて、腰に負担がかからないように保護して行うトレーニングをして、腰がほぼ完治したことで、やっといま体重を戻しているんです。体重を戻して臨んだ大阪場所で、結果がしっかり出たので自信になりました。常に、いかに筋肉を太くするかを考えています。筋肉が太くなれば、体重はいくら重くなっても問題ない。食べて鍛えて、筋肉を太くしていく感じです」

――お忙しいなかありがとうございました。最後に、来場所の目標をお聞かせください。

「今回の大阪場所で、いい経験ができました。この経験は必ず生きると思うので、自信をもって、来場所も千秋楽まで優勝争いに残って、決定戦でもなんでもやりたいと思っています」

【プロフィール】

高安 晃(たかやす・あきら)

1990年2月28日生まれ。茨城県土浦市出身。本名は四股名と同じ。小学生まではリトルリーグで野球に打ち込み、中学では軟式野球部に所属。中学卒業と同時に、相撲が好きだった父の勧めで鳴戸部屋に入門し(現在は田子ノ浦部屋所属)、2005年3月場所で初土俵を踏む。入門から約5年半となる、10年11月場所で新十両昇進。翌11年7月場所で新入幕を果たし、順調に番付を上げると、17年7月場所には大関にまで昇進した。しかしその後、腰などのケガに泣き、2020年に入ると大関から陥落。コロナの影響もあり苦しい時期が続いた。そこから這い上がり、先の3月場所では、若隆景と優勝決定戦を争う大健闘。自身5度目の敢闘賞を受賞した。最高位は東大関。身長187cm、体重177kg。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

【著者プロフィール】

いいづか・さき

1989年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーランスのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(報知新聞社)、『IRONMAN』(フィットネススポーツ)、Number Web(文藝春秋)、Yahoo! ニュースなどで執筆中。

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